ブックコレクション

墨東公安委員会の
「今週の一冊」
〜上野千鶴子からシュリーマンまで〜

第77回〜第88回(7クール目)


#今週のプロフェッショナル

看護婦をターゲットとするプロパガンダは、看護婦を依存的で、二流の地位に引きとめておこうとする。看護婦たちはこうしたプロパガンダを受け入れたり、このプロパガンダによって混乱することはあっても、拒否することはめったにない。自分たちに起こりつつあること、つまり自分たちは操作されているということに、しばしば看護婦たちは気づいていない。このプロセスは隠蔽されているのだ。
 たとえば専門職化をめざす看護婦たちの奮闘は、女中のイメージを温存しようとする人々に逆用されてきた。たとえば彼女たちは、キャップとユニフォームは「専門職」の印だと教えられた。しかしユニフォームを着るのはサービス労働者であって、専門職ではないと、看護婦が指摘することはめったにない。

A・H・ジョーンズ編(中島憲子監訳)『看護婦はどう見られてきたか 歴史、芸術、文学におけるイメージ』時空出版

 先週は学校制服話だったり、このコーナーはそういえばメイドネタ限定でもなかったんだということで、今回はナースネタを一つ取り上げてみることにしようと思います。
 という次第で取り上げた今回の本は、表題の通り看護婦(この本が出た時にはまだ「看護師」という表現は創造されていませんでした)についてのイメージがどのようなもので、それがいかにして形成されたか、そのイメージの持つ問題点というものを様々な角度から取り上げた論文集です。引用したのはジャネット・マフという人が書いた第9章「イメージと理想」からです。看護婦は看護に携わる専門家とされる反面、医師に従属する女中であるとか、嫁入り修行として「女性に固有な」看護という仕事を行う(だから女性は誰でも看護婦足りうる)とか、ジェンダーの差別に抑圧されている、しかも看護婦自身がそれに対して立ち上がるどころか、その抑圧を内面化して受け入れてしまう場合が多い、ということが指摘されています。看護婦の制服もその表れともいえるのです。ちなみに本書の別の箇所では、19世紀末の看護婦の写真(主にアメリカの)がたくさん載っていますが、彼女たちのいでたちはヴィクトリア朝時代のメイドさんによく似ています。
 ナイティンゲールが目指した看護婦像とは、専門家としての看護婦でした。しかしその後のこのようなプロパガンダ(これには様々な文学作品や映画などが含まれるわけで、本書では『カッコーの巣の上で』などが取り上げられていますが、アニメやゲーム、さらにはアダルトビデオや官能小説について考えてみても面白いでしょう)の結果、看護婦は医師に従属する「女性的な」性格、自立よりも献身を求められるようになり、皮肉にもそれが「ナイティンゲール主義」と呼ばれるようになります。しかし看護婦はひたすらな献身に打ち込むのではなく、自らの職業に適切な誇りを抱くことが必要であると指摘されています。この専門家であるということ、プロフェッショナリズムということは、メイドさん(専門家として認識されていない)について考える上でも重要な論点足りうると、筆者は考えております。

(連載第88回・2004.1.13)


#今週の伝統(新春特別薀蓄超弩級多目版)

私達の学校の制服は
市内で一番ダサイ

だから志望校は
市内で一番カワイイ
制服の学校にした

(中略)
「早くその制服着たいなあ―――!! 明日からでも着たいなあ!!」
「のりこ… 受験って知ってる?」

ナヲコ「きみみたいにきれいな女の子」(『DIFFERENT VIEW』コアマガジン ホットミルクコミックス)

 昨年末はコミケで当サークルを多くの方にご訪問いただきありがとうございました。私事ですが、三日連続売り子で参加ともなりますとさすがに疲れて、反動で正月ぼうっとしていたもので更新が遅れ失礼いたしました。初日に鉄道のボードゲームを売れば米澤代表が買っていき、二日目にミリタリ系の本を売ればなぜか一緒にいた売り子が女子高生だったり、なかなか面白いコミケでしたが。
 さて、そのコミケでお会いした方に、前回のまついもとき氏ネタのご感想をいただけたので、調子に乗ってホットミルクの本でもう一つ語ってみましょう。引用したのは筆者がこよなく愛好し、これまでも拙稿で触れたことのあるナヲコ氏の単行本からです。ダサイ制服の中学生が「カワイイ」制服の学校にあこがれて、お姉さんがそこに通っていた同級生の家に行って制服を試しに着てみて…てなお話。成年コミックに収められたものですが、この話自体はそういうシーンはない、ほのぼのした一編でした。
 ところで、ここで「カワイイ」制服がどんななのかというと、スカートがタータンチェックなんですね(上は紺のニット? にリボンタイ)。以前もちょっと触れましたが、ナヲコ氏は札幌に以前おられたようで、作中の人物名に札幌の地名が使われたりしています。で、この作品についてあとがきみたいなコーナーで、「わかる人には絶句ものかと…」とあるので、どうも札幌の実在の学校の制服を描いているのではないかと思われます。すると今回のコミケで、何と好都合なこと、室戸半兵衛編集『札幌女子高制服図鑑私立編』というまんまな本(大変素晴らしい本です)があったので早速購入、学校を特定しようと試みたのですが、正直分かりませんでした。これは、この図鑑のコラムに書いてあったことなのですが、札幌の学校は最近イメージ改善を図って「右も左もタータンチェック」になりつつあるのだそうです。だから同じようなのが多くて、どうもよく分からなくなってしまっている訳で、これについて同コラムでは、東京の手法を数年遅れで取り入れ、横並び意識が強く成功例をすぐ真似るという「北海道企業の悪癖」であり、かえって差別化のメリットを失っていると評されています。なるほど。
 というくらい、今や女の子の制服の定番となっているタータンチェックなのですが、これはよく氏族(クラン)ごとに模様を変えた、チェックのキルトをスコットランド人がはいていたことがもとだったといわれています。しかし実はこれは、スコットランドがイングランドに併合された後になって、「スコットランド伝統の、独自の文化」が欲しいと思った人々の需要と、服屋の商略が合致して捏造されたものなのだといいます。このことを明らかにし、民族のアイデンティティである「伝統」は後から作られたものだということを世に知らしめたのが、連載80回のホブズボームらが編集した論文集『創られた伝統』紀伊國屋書店 なのであります。
 同じようなことは日本にだっていろいろあります。例えば新春恒例行事の「初詣」ですが、こんな言葉は近代以前には存在しなかったそうです。筆者の大学の先輩で、このことを調べた方によりますと、何でもこれは、大正ごろから電鉄会社が新年の旅客誘致に言い出したのだそうです。正月にお宮参りをすること自体はそれ以前からあり、地元でなければその年のめでたい方角(恵方)の寺社に行く「恵方詣で」という習慣はあったそうです。が、それでは方角にならなかった電車は乗ってもらえません。そこで「初詣」という言葉を作り出したようだとか。川崎大師の参拝客を当て込んだ京急(当時は京濱)や、成田山参りの客を運ぶ京成なんかにとっては重要な宣伝戦略だったでしょうね。
 聞いてますか〜、小泉総理! 「初詣は伝統」なんて軽々に言うと後で恥かきますぜ。いくら選挙区が京急沿線だといっても。
 えらく余談が長くなりました。話を戻しまして、以前筆者は「ナヲコ氏はメイドの絵は描いていない」とか書きましたが、ナヲコ氏のサイト(http://kdp.main.jp/sandal/top.html)を最近発見して閲覧しておりましたら、なんとメイドさんの絵が!! アーチェリーメイド? とにかくかっこいいです。一度御覧あれ。

(連載第87回・2004.1.6)


#今週の黎明期

(マンガの単行本化時に作者が自分で書いた解説)
「彼女はハンドメイド」
 イメージのもとは深夜映画。邦画で、なんかえらく古い映画だった。自分ではあまり好きではない。絵粗いし、ネームもすぐできたものだから。(ネームは考え込まないとダメっス。ボクのばあい)
Hも本番やってるワケではないし・・・。ところがアンケートの結果は良いので困る・・・(汗)読者の皆さんはいったい何を求めとるのだ? うーーーーーん。
謎の多い作品。

まついもとき『チャット式恋愛術』白夜書房 ホットミルクコミックスシリーズ

 こないだ買ってきた『ご奉仕大好き! メイド本〜エプロンドレスで尽くします〜』日本出版社 なぞぱらぱらとめくっておりますと、メイド系マンガの紹介で瀬口たかひろ『えん×むす』てのが出てましたが、これを書いた瀬口氏はもともとまついもときという筆名で美少女コミック界で活躍しておられました。で、筆者は『えん×むす』は一ページだに読んだことはないのですが、別の瀬口氏もといまついもとき氏の単行本がたまたま手元にあったので、ちょっと引用してみました。この「彼女はハンドメイド」というマンガは、表題の通りメイドさん(15歳)が家の子ども(小六)にやられそうになるお話ですが、雑誌に掲載されたのは1994年2月号だそうで、時期的にはメイドブームが勃興する直前くらいであるといえましょう。このマンガのメイドさんも、まああまり詳しい描写はないのですが、衣裳的にも設定的にも、その後の「メイド萌え」の構成要件と思われるものの多くを欠いていることから、「メイド」が属性としてヲタク業界の共通認識を得る以前、いわばプレ・メイド時代(なんだよそれ)の作品と規定できます。そしてその発想を得たのが、まつい氏の回想によると邦画だということで、具体的な作品名が分からないのは残念ですが、メイドさんに関するインスピレーションを得た経緯としては、わりと珍しいケースなのではないでしょうか。そして、作者と読者の齟齬(個人的感想では、まつい氏御自身の言う通り、この話は『チャット式恋愛術』の中では優れたものではないと思います)が、来るべき時代を予感させているとも考えられます。
 さて、まつい氏のメジャーデビューの便乗商法なのか、この『チャット式恋愛術』は、2000年にホットミルクコミックスエクストラで復刊されていますが、カラーページがモノクロになったのもさることながら、上に引用したような作者のコメントやゲスト原稿などのおまけページが一切削除されてしまっており(これじゃ『チャット式』の意味が分からんではないか)、もとの1995年版単行本の魅力を大きく減殺してしまっているのは残念です(あと「成年コミック」の黄色楕円マークも削っちゃっていいのかな?)。95年版では、ゲスト原稿だけでも半ページ×9人のヴォリュームを誇っていたものでしたが、そのゲスト原稿のトップを飾っていたのが現在『まほろまてぃっく』画師のぢたま某氏であり、ゲスト原稿に付けられたまつい氏による説明は「胸ペタ少女の放尿を描かせたら日本一のお人です」という、あまりといえばあまりな、でも全く以ってその通りな一文なのですが、ところでぢたま某氏の「デビュー作」の単行本である『好きだけど好きだから』司書房(ティーアイネットの新装版に非ず)の奥付を見たら、あれ、『チャット式恋愛術』よりも発行は後ですね。てことはぢたま某氏は同人時代から貧乳&放尿で有名だったんでしょうか。
 そういえば某筋から聞いた情報では、ぢたま某氏は『まほろ』の仕事が気に入っているわけではないけれど(単行本『気分^2(きぶんきぶん)』1巻のあとがきも参照)、何せ売れているもので出版社にせっつかれて、暮らしのためにやっているんだとか。まあそうですよね、こんな人に「えっちなのはいけないと思います」などというマンガを描かせても志気は上がらないかもしれないですね。それでも読者の期待に応えて描いているぢたま某氏こそご奉仕精神の持ち主なのか…ところでまほろさんはアンドロイドだと放尿はしないのかな(実はぢたま某氏の作品は成年コミックしか持っていない筆者)
 コミケ前なので、それっぽい(?)ことを書いてみましたが、どうも纏まりがないですね。修羅場だからか。

(連載第86回・2003.12.22)


#今週の家族

概して言えば、召使いと家族の間の境目は、仮にあったとしても、極く稀薄であった。もっと後の時代の召使いに対する態度の前兆を見つける前に、さらにロバート=クローリーの『著作選集』中の一節に眼を向けねばなるまい。
彼らが、朝から夜まで
ずっと仕事をしているように眼を光らせておけ。
 この一節は、中世のように召使いが主人の寝台の側の車付き寝台で寝たり、台所で主婦と仲良くつきあったりするのでなしに、大きな家では召使いを地下室や屋根裏部屋に隔離し、小さな住宅では緑の掛布をかけた扉の向うに閉じこめたことを暗示するものである。彼らの運命は非常につらく、むごい扱いや人間性を無視した扱いにあうこともあったかも知れないが、少なくとも一六世紀においては、彼らは雇い主と同類の出であると考えられており、召使いは、たとえ最下級の召使いでも、全く家庭生活の一部である、ということを疑う者はいなかった。

R・J・ミッチェル M・D・R・リーズ(松村糾訳)『ロンドン庶民生活史』みすず書房

 そもそもは1958年に出された本で、義理の姉妹である二人の女性研究者が出したということです。表題の通り、ロンドンの様々な人々(実は必ずしも“庶民”ばかりではない)の暮らしぶりを、中世からヴィクトリア朝まで述べた一冊です。様々な文献の引用があり、地図や図版、翻訳者による注釈などが充実し、面白く読める一冊です。
 引用部はトマス=モアの時代について述べた章からの引用で、ロバート=クローリー(1518?〜1588)とは聖職者兼印刷業者・文筆家として知られた人で、清教徒の立場から国教会を批判していたのだそうです。彼が生きていた16世紀は、使用人と家族との境目が薄かった、とは即ち、家族に使用人が含まれていたということです。
 以前にも述べましたが、19世紀の近代家族の成立に伴って使用人は家族の範疇から排除されるようになり、お仕着せの着用もその表れといえますが、それ以前はそうではなかった、ということはよく言われています。16世紀もむろんそうなのですが、そんな時代にも、やがてメイドさんを消滅させることになる近代家族的傾向の端緒があったのだとすれば、これはなかなか興味深いことです。もしかすると、クローリーが清教徒であるということが、このことと何らかの関連を持っているのかもしれません。マックス=ヴェーバーを持ち出すまでもなく、清教徒的精神は19世紀の世界を創造する重要なファクターと考えられますから。
 まあ、そんなことは抜きにしても、面白い本ですので、機会があったら読んでみてください。あまりメイドさんと直接の関係はないけど。

(連載第85回・2003.12.15)


#今週の白黒

黒は、もっていた意味の多くが次第に性格をしぼりこみ、自己抹消の色になっていった。そして奇しくも黒は目立つものと目に見えないはずのものとの間を媒介するようになった。こうして黒は(フレッド・デイヴィスの用語によれば)まさに「アイデンティティ・アンビヴァレンス(両義的自我同一性)」の色になる。日本の芝居では裏方、または、人形師が黒を着るが、その黒は観客は彼らを見ないという約束の印になっている。黒子たちは「目に見えない透明人間」なのである(これは十九世紀の召使いが黒い衣服を着ていた現象の裏にあった心理に通じているだろう)。

ジョン・ハーヴェイ(太田良子訳)『黒服』研究社

 表題の通り、「黒い服」についてその社会的意味の変遷を語った世界初(らしい)本です。黒い服、といえば本サイトをご覧になられるような方ですと、メイドさんの衣裳が思い浮かぶことでしょうが(「メイド服は黒でなきゃヤだっ!」という人は結構多いですよね)、本書は原則として男の衣裳について論じた本ですので、その点はお含みおきください。
 なぜ黒い服を論じた本書が男の衣裳中心かというと、黒い服はもともと(喪服のように)死や悲しみなどをあらわしていたのが、やがて地位や権力などを表すようにもなっていった、そしてその傾向は19世紀英国で男のファッションが黒中心になることで極地に達したことにあります。一方で19世紀英国の地位ある女性の服装は白であり(メイドさんのエプロンを除く)、貞淑さなどを表していましたが、これが男女差別を可視化したものであることは明らかですね。19世紀の黒い服の流行の後、力を表し、それでいて自己抹消という黒の表象は、ナチスのSSに引き継がれることになります。
 本書をものしたハーヴェイ氏は小説家でもあるそうで、本書は多くの小説を資料として活用しています。19世紀の資料としてはディケンズが縦横に活用され、文学論としても面白そうです。黒い服の男が一家を支配する19世紀英国を描いた「イギリスの暗い家」の章は、この時代を知る上で様々な示唆を与えてくれ、例えば本連載71回のハイアムの本の指摘などと引き比べてみても面白いと思います。
 というわけで、直接メイドさんの話ではないけれど、その気になれば巻末の高山宏氏の解説ともどもいろいろ読みどころのある本です。『続黒服・女性編』が出れば、それに越したことはないですが。

(連載第84回・2003.12.8)


#今週のバトル・オブ・ブリテン

 平時とうってかわる何かの迷惑がふりかかってきても、文句をいう者もあまりいない。ケント州ホームフィールドの旧家スミス家では執事のウィリアムが、頭上の空中戦がひと区切りつくごとにビロードのようにみごとな芝生に出てきては、まるでいつもしている食卓のテーブルクロスをブラシで掃きとるのと同じように、芝生にとび散った弾片や銃弾を黙々と拾い集めて捨てていた。またサセックス州ワージングのアーレット家でも、令嬢ベラのお付の女中は同じくらいに即物的だった。「さァお嬢様。デザートのプディングを召し上がれ。……あらあら! ほら、裏のお庭を機関銃で射っておりますわ」

リチャード・コリヤー(内藤一郎訳)『空軍大戦略』ハヤカワ文庫

 時は1940年、ドイツ軍の電撃戦の前にフランスはあっけなく敗れ、イギリス軍はほうほうの体でダンケルクから撤退します。ドイツ軍は英本土上陸作戦を行うため、制空権の確保を狙い空軍による攻撃を仕掛けます。これをバトル・オブ・ブリテン(英本土航空決戦)といいますが、まあその詳細は類書がいっぱいありますのでそれに譲ります。本書はその中の代表的なものですが、なんでこんな変な題名になっているかというと、そもそもこの戦いを扱った1969年製作のイギリス映画があって、それの邦題が『空軍大戦略』だったからであります。ちなみにこの映画は、空中戦シーンを全部、飛行機を実際に飛ばして撮ったという、CGばやりの昨今から見ればまこと牧歌的な映画でした。
 さて引用部は、頭上で毎日空中戦が繰り広げられている時の英国人の生活の一こま。飛行機が機銃掃射やら爆撃やらしたくらいであたふたしないのが、紳士のみならず英国人のたしなみ、だったのでしょうか。それとも、戦争の危険を日常と同じ仕事に没頭することが忘れさせてくれたのかもしれません。

(連載第83回・2003.11.30)


#今週のネタ本探し

ルネ 四年前のノエル。それは私の手引で脱獄したアルフォンス(注:サド侯爵の名前)が、諸所を転々として行方をくらましたのち、ラ・コストの城にこっそり戻って、私と共に過ごした最後のノエルでございました。プロヴァンスの北風が吹き荒れる厳しい冬、私は家伝来の銀器を質に入れて、薪に代えておりましたくらい。ノエルどころでは……
モントルイユ まったくノエルどころではなかった、お前たちのやったことは。薪が不足で人間の体で煖をとっておいででしたね。その貧しさと乏しさのなかから、女中にと云って十五六の若い娘まで五人まで、秘書にと云って男の子を一人、リヨンで雇い入れて連れて来た。……そら、ごらん。私はそれまでちゃんと知っていながら、莫迦になって、お小遣を送ってあげたものだ。それはそうと、私の密偵は、北風の吹きすさぶ露台に身をひそめ、お前たちのふしぎなノエルを窺っていた。なるほど銀器を抵当(かた)にしただけあって、煖炉の焔は窓の外の枯木の幹にまで赤く映えていた。
ルネ お母様!
モントルイユ おしまいまでおきき。アルフォンスは黒天鵞絨のマントを室内で羽織り、白い胸をはだけていた。その鞭の下で、丸裸の五人の娘と一人の男の子が、逃げまどっては許しを乞うていた。長い鞭が、城の古い軒端の燕のように、部屋のあちこちを飛び交わした。そしてお前は……
ルネ ああ!(ト顔をおおう)

三島由紀夫「サド侯爵夫人」(『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新潮文庫)

 先週紹介の『サド侯爵の生涯』は、いろいろと読んだ人々に影響を与えたことでしょうが、その結果として生まれたもっとも目立った成果は、この三島の戯曲・「サド侯爵夫人」でありましょう。三島は澁澤の書を読んで、サド侯爵にどこまでも従順だったのに、いざサドが獄から出たとき別居を望んだサド侯爵夫人ルネに関心を持ち、この戯曲を書いたといいます。
 ところで、三島ともなると詳しい人や一家言ある人は多いでしょうし、筆者は三島にはあまり関心がなくてろくに読んではいないので、作品自体の話はやめておいて、些細なところを突っつくと、澁澤が「想像すれば足りる」とだけ記していた箇所が、三島の手にかかるとこのように膨らんだというわけで、こうやって話はどんどん最初の事実から飛躍していくのでしょうが、あ、でもこの箇所は膨らませ方としてはこの企画で取り上げるのには若干問題があったな。メイドさんの服、脱がしてるから(笑)
 あとこの戯曲には、三島のオリジナルキャラとして家政婦が登場します。なんで家政婦だったか考えてみるに、サド家に献身的に仕えかつ良き友であり「サドがプラトニックに愛したおそらく唯一の女性」ルーセ嬢のことを、澁澤が「家政婦」と書いていたからでしょうね。

(連載第82回・2003.11.24)


#今週のサディズム

 一七七四年の十一月、サド夫妻はリヨンで落ち合ってラ・コストに帰る際、同地で五人の娘と一人の少年を雇い入れて、領地の城へ連れてきた。娘たちは女中として、少年は秘書として使うつもりであった。あれほど財政が逼迫しているのに新たな召使を殖やすとは、解せない話のようにも思われるが、吝嗇のくせに経済観念のまるきり欠けているところに、サド家の遺伝ともいうべき浪費癖があったのであろう。当時、侯爵の軍人としての収入は寄託に付され、ルネ夫人(注:サド侯爵の妻)は銀器を質に入れたりして家計の足しにしていた。モントルイユ夫人(注:サド侯爵の義母)にも、たびたび無心の手紙を出している。
 そんな状態のところに、新たに五人の若い女中を雇い入れた侯爵の真意は、どこにあったのか。もちろん、あのアルクイユやマルセイユの饗宴をふたたび繰り返すためにほかならない。厚い壁にさえぎられた一七七四年の降誕祭の夜は、そのまま淫靡な魔宴(サバト)の夜に一変したことでもあろう。女中たちはいずれも十五歳前後の若さであった。当時ようやく三十四歳になっていたルネ夫人も、この乱痴気さわぎに進んで加わったと信ずべきふしがある。何事によらず夫の意のままに服従するのが彼女の信条であった。カーテンを張りめぐらした城中の奥深い密室で、暖炉の火に照り映える蒼白い裸体が、鞭打ったり鞭打たれたりする光景をわたしたちは想像すれば足りる。

澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』中公文庫
(注:「彦」の正確な字は出ないので通例の字で代用)

 昨今のメイドさんブームの起こりを考えますと、やはりお屋敷にメイドさん囲い込んでしばくという類の18禁ゲームに端を発したということになるんじゃないかと思いますが(現下はそれへのアンチテーゼのほうがむしろ主流になっているようにも思われますが)、ではその類のイメージの源流はいずこにありしや、と考えると、やはりサディズムの語源・サド侯爵は外せない重要人物でありましょう。
 サドという人は18世紀後半からフランス革命を経て19世紀初頭まで生きていた人で、その存命中から半ば伝説的存在となり、彼についての怪しげなエピソードやイメージが横行していたのですが、アポリネールらにより再評価され、実証的な研究が行われるようになりました。今回の出典は、それを踏まえてかの澁澤が今からおよそ四十年も前にものした、サド侯爵の評伝です。サド侯爵は若い頃に引用部はじめ様々な乱行をし、また他にも女中に手をつけて認知で揉めたりしたようですが、そのような振舞を忌まれて投獄されてしまいます。しかし、本書で澁澤が論じるところでは、サドの本領はここで開花したのである、彼は投獄されたことで精神の主体性を獲得したのだとしています。サドはそういった行為の実践者としてではなく、文学者として偉大なのです。
 さて、ここに端を発するサディズムが、時代が下り受容されるにつれて薄められ俗化していくことは当然であったとしても、こと現在のメイドネタの場合、きわめて短期にサディズム的表象からブルジョワ道徳的表象(つまり、「えっちなのはいけないと思います」)に転向していったのは、無神論者でおのが理性に従って既存の道徳に反抗したサド侯爵が、いったんは革命で釈放されながら、革命政府やナポレオンの統治下で再び捕囚の身となったことと重なって、まことに面白い現象であります。

(連載第81回・2003.11.15)


#今週の19世紀(コスカ11号店参加・連載80回記念&間が開いたお詫び超特大号)

理想的な中産階級の住宅は、もはや、市街の一部をなす「都市住宅」もしくはその代用物大通りに面した宮殿まがいの大きなビルのアパートには見られなくなり、緑の木々に囲まれた小公園の中の、都市化された、あるいはむしろ、近郊化されたカントリー・ハウス(「別荘風住宅=ヴィラ」あるいは「山荘=コテイジ」)となった。それは、非アングロ・サクソン系のほとんどの都市にはまだ当てはまらなかったが、非常に強力な生活面の理想となるはずのものだった。
 「別荘風住宅」は、そのモデルとなった貴族や郷紳階級の大邸宅とは、規模やコストがさほど大きくない(縮小できる)ことを別にしても、一つの重要な点で異なっていた。社会的地位の向上のために努力するとか、社会的役割を演じるためではなく、むしろプライヴェートな生活に便利なように設計されていたのだ。(中略)
 これは、伝統的な地方の大邸宅や城(シャトー)や、それに対抗したりそれを模倣したブルジョワ大資本家の邸宅(例えば、クルップ家のヴィラ・ヒューゲル、あるいは、毛織物業の町ハリファックスの煤けた生活を支配していたアクロイド家やクロスリー家のバンクフィールド邸宅やベル・ヴュなど)の機能とは正反対だった。これらの住居は権力というエンジンを収める容れ物だった。それは支配的エリートの一員としての財力や威信を他の成員や自分たちより下の階級の人々に誇示し、影響力と支配力を及ぼす職権を組織するために設計されていた。オムニアム公爵の邸宅では幾組ものの組閣が行われたのであり、他方、クロスリー・カーペット社のジョン・クロスリーは、少なくとも五〇歳の誕生日に、ハリファックス・バラ地方議会の四九人の同僚を湖水地方の別荘に三日間招待し、ハリファックス・タウン・ホールの落成式を機に英国皇太子をもてなしたりした。そうした大邸宅では、プライヴェートな生活と、公認された、いわば外交的・政治的な機能を持つ公的生活とを切り離すことはできなかった。こうした公的生活の必要は家庭の安らぎに優先した。古代神話の諸場面が描かれた壮大な階段や、彩色の施された大宴会場、大食堂、図書室、九つ揃いの客室、さらには二五人の召使い用に設計された使用人別棟ですら、アクロイド家の人々が何よりもまず家族のために建てたとは誰も思わないだろう。

E・J・ホブズボーム(野口建彦・長尾史郎・野口照子訳)『帝国の時代 1875-1914』みすず書房

 メイドさんの主たる活躍の時代とされる19世紀について、その全貌を知りたいというときにどんな本を読めばいいかというのは、いろいろな候補があるでしょうが、その筆頭に上げられるのはこのホブズボームの19世紀三部作『革命の時代』(邦題:『市民革命と産業革命』)『資本の時代』『帝国の時代』ではないでしょうか。ホブズボームは1917年に生まれた英国の歴史家ですが、英国のみならず20世紀の世界を代表する歴史家の一人です。『創られた伝統』『ナショナリズムの歴史と現在』など邦訳も数多あり、近年も執筆活動は衰えずご健在であるようです。
 19世紀については、よく「長い19世紀」という、フランス革命から第1次大戦、ロシア革命までを一つの時代と捉えることがなされます。ホブズボームはこの長い19世紀を三つに分かち、1848年革命の時代までを市民革命と産業革命を経て自由主義を信奉するブルジョアジーが台頭する時代、75年の不況期までを自由主義による資本主義の全盛期、それから大戦に至る時期を資本主義の矛盾の蓄積によるブルジョワ資本主義の崩壊として描いています。本書の特徴は、政治や経済にとどまらない、さまざまな社会の様相を多面的に描いているところにあり、決して専門家向けに限られた本ではありません。もっとも、優れた通史や概説を書くのは、微に入り細を穿った研究よりも難しいところがあるのかもしれませんが。
 さて、今回は三部作のどこから引用するか考えた結果、やはり「メイドさん」イメージの元は末期ヴィクトリア朝であり、メイドさんイベントも「帝国メイド倶楽部」だし(笑)、ということで、『帝国の時代』を選びました。引用部は、この19世紀末のブルジョワジーの生活について述べた箇所です。初期の資本主義を担った企業は、例えばドイツのクルップのように家族経営であり(ちなみにヴィラ・ヒューゲルの写真は連載第7回の『クルップの歴史』に載っています)、かつての貴族同様に家庭生活と公的な生活が一体化していたのですが、次第に経営が専門化するにつれ株式会社化して家族経営的色彩が薄れてゆきます。そしてそれと(おそらくは)軌を一にして、家庭を公的な生活と分離されたプライヴェートな、神聖な世界とみなす近代家族の発想が根付いてゆくのです。
 メイドさんは中産階級とそれ以下を分ける指標として雇用されたといいますが、貴族や旧型大ブルジョワの場合と、この19世紀末の中産階級の場合とでは、家庭というものへの認識が、公的な生活と一体化している前者と分離された後者で異なっており、ひいてはそこでのメイドさんの位置付けにも違いが生じていたといえるでしょう。ではどちらの存在様式のほうがより重要視されるべきであるかというと、筆者は後者――すなわちこの引用部に示されているような中産階級のそれと考えます。なぜならば、今現在の我々の生活は、公的社会的な役割すなわち仕事と家庭が一体化している場合よりも、職住分離の生活形態に見られるように、両者が画然と区別された生活様式が一般的だからです。近代以前では境界線は多くの場合曖昧でありましたが、この時代に区別が形成され、近代家族が成立し、主婦という公的生活から排除され家庭生活を専門に担う存在が誕生して、ついにはメイドさんの居場所はなくなってしまったのであります。だから、世界中あらゆる時代に見られた家事使用人の中での独自の意味が、この後期ヴィクトリア朝のメイドさんにはあるといえるでしょう。仕事と家庭が分離する近代家族と家事使用人が同時に存在していた最初の事例だからです。
 今の日本でメイドさんを雇う方法を研究される向きは、貴族のカントリーハウスよりも、中産階級に注目するべきでしょう。現代の先祖はそちらだからです。それだけに、現在の日本のオタク文化におけるメイドさんが出てくるお屋敷ものは、中産階級の(そして現在の我々の)近代家族概念と、貴族の前近代的使用人雇用形態が混在しているところに、面白さを生み出す源があるといえるでしょう。このギャップを埋めるために、サブカルチャーは「奉仕」の概念を発見したのです。
 さて、理屈をこねるのはこの辺にして、この三部作は第一部が岩波書店から邦訳が出版され、第二部と第三部はみすず書房から各々2巻本として訳されています。そしてみすず書房のそれは、ちょうど先月、2003年10月に「基本図書限定復刻」と銘打って再版され、目下書店の店頭で入手できます。19世紀を語りたい向きはぜひ入手しましょう。ちなみにお値段は『資本の時代』が各巻4600円、『帝国の時代』が4800円、全部買ったらしめて18800円(税別)です。なあに、限定は限定でも初回限定特典付美少女ゲーム二本分と考えれば安いものであります。
 せっかくですので、『資本の時代』からも引用しておきましょう。
もし一九世紀の労働者の生活を支配していた要因をただ一つだけあげるとすれば、それは不安定性であった。労働者は週のはじめに、週末に家庭にどれだけの賃金を持って帰れるかを知りえなかった。(中略)
 自由主義の世界にとって、不安定性は、進歩と自由の双方に対する、そして言うまでもなく富に対する対価であった。(中略)安定性は(少なくとも時には)――自由な男女の場合ではないが――英語の表現が明確に示しているようにその自由が厳しく制限されている「サーヴァント」、つまり家内使用人(ドメスティック・サーヴァント)、「鉄道従業員(レイルウェイ・サーヴァント)」、そして「公僕(シヴィル・サーヴァント)」(公務員)にとってさえ、対価を支払って得られたものであった。実際には、サーヴァントのうちの最大の部分を占める都市の家内使用人は、伝統的な貴族やジェントリの恩顧をこうむった家臣の享受していた安定性にあずかることなく、つねに最悪の不安定性にさらされていた。保証状なしで、つまりそれまでの主人(多くの場合、女主人)から将来の雇主に対する推薦状を与えられることなく即時解雇される危険にさらされていたのである。れっきとしたブルジョワの世界もまた基本的には不安定であった。
 今までにも書いたことですし、今週開催のコスカのカタログを見ても推察されることですが、メイド趣味の人は(オタク全般がそうだともいえますが)鉄道趣味やミリタリ方面も兼業している人が多いです(筆者含む)。ひょっとしてこの引用部の指摘は、その理由に大きな示唆を与えてくれるものではないでしょうか?(公僕に軍人が含まれていることは引用部の前を読めば明らかなのです)それを別にしても、やはり併せて読むことで得るところは多いこと間違いなしです。なお、それぞれの一巻巻頭の口絵には、メイドさんの写真が掲載されております。

(連載第80回・2003.11.9)


#今週のホモセクシュアル

ヴィクトリア朝時代を通じて大量に出版された鞭打ちをテーマにした小説について検討するのが、本章の課題である。(中略・この類の小説では)誰かが悪事を咎められるわけだが、その誰かは大抵の場合、少年である。少年のふりをしたり、演じたりする成年男性のこともあれば、少女のかっこうをした少年とか成年男性のこともあり、あるいはまた、本当に少女と思われていた少年ということもある。(中略)咎めるのは、ほとんど一様に母親の代理である。継母であったり、女家庭教師、女教師、女中、小間使い、伯母等々が頻繁に出てくる。こうした役回りを演じるめかけだとか、娼婦というのも少なくない。母親自身が咎めるというのはごく少ない。父親とか男性教師といった成人男性は滅多になく、私はほんの二、三の例しか知らない。

スティーヴン・マーカス(金塚貞文訳)『もう一つのヴィクトリア時代 性と享楽の英国裏面史』中央公論社

 ヴィクトリア朝時代英国の、ポルノグラフィーを中心とした性にまつわる叙述を研究した本です。本書の記述のおよそ半分は、連載第52回で紹介した『我が秘密の生涯』についての分析からなっており、そもそも本書は『我が秘密の生涯』を発掘したということで知られているそうです。
 ただし、引用部はその箇所ではなく、本書の末尾に近い鞭打ち小説についての章から引用しました。ヴィクトリア朝に氾濫した鞭打ち小説は、男を「男性的な役割を担う女性」が鞭打つところに特徴があり、本書の著者はこれはホモセクシュアルに対する妥協と防衛である、と規定しています。この結論を受け入れるかどうかは別にしても、ヴィクトリア朝時代の小説では、メイドさんは鞭打たれるよりも鞭打つ側だったということはなかなか興味深いことではないかと思います。この背景には、パブリックスクールの教育の影響がやはりあるのでしょう。そこでは鞭打ちは当然のこととして行われていまして、今日でも教育の一環として体罰の是非は論点になりますが、とりあえずヴィクトリア朝の歴史からわかることは、体罰の結果として鞭打ち文化がはやるということなのであります。
 本書は1966年というかなり以前に書かれた本で、また『我が秘密の生涯』に多くを割きすぎている印象もありますが(連載71回で紹介したロナルド・ハイアム『セクシュアリティの帝国』では、本書について「著者がポルノ文学にあまり博識とは思えない」とかいう旨の注記がありましたっけ)、『我が秘密の生涯』をはじめとするポルノが描いていたのは男の心の中にある「性的ファンタジー」であったという本書の根幹を成す指摘は、たとえば今日の美少女ゲームなんかと引き比べて考えてみても面白いかもしれません。

(連載第79回・2003.10.19)


#今週の古典

 すべて、男(おのこ)をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣(やましなのさだいじん)殿は、「あやしの下女(しもをんな)の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かむり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

兼好法師(西尾実・安良岡康作校注)『新訂 徒然草』岩波文庫

 学校教育で英語を教える時は、簡単な文から始まって段々高度なものへ進むわけですが、古文やる時はなぜか初手から平安時代のを読ませたりするから引く人が出るのではないかと思うことがあります。まずは明治大正の文語文からはじめて、江戸時代をやって中世・上古へ溯れば、まだ慣れやすいんじゃないかと。ちなみに、ミリオタは軍人の書いた文語文に触れているので、古文には割と強いんじゃないかと思います。
 閑話休題、というわけで徒然草です。皆さんご存知でしょうから原典の説明省略。引用部は百七段の兼好の女性論からです。「あやしの下女」であっても(むしろであるからこそ)、その視線を感じて身形を整えねばならないのであります。受験古文的には、「見奉る」の敬語が誰に対する敬意なのかを問う問題が出そうですね(自敬表現)。
 さて、身分というやつは相互的な関係にあるものですから、上の身分にある者は下の身分の者の視線を意識して、それにふさわしい行動をしなければならないという社会的制約が課されるのであります。つまり、主人が一方的に下女を使い、教え導く(先週参照)のではなく、使用人の存在によって主人が主人たらしめられている面が存在するというわけです。それは身分というものが存在すれば、時代や地域を越えた普遍的なものといえるでしょう。
 え、現代語訳? 自分で考えて下さい(笑)参考までに、「おほしたつ」は「養育する」、「あやし」は「身分の低い」、「恥づかし」は「きまりがわるい」、「ひきつくろふ」は「身なりを整える」という意味です。

(連載第78回・2003.9.18)


#今週のメタフィクション(連載再開&帝メ開催記念特別編)

 女は入ってゆく。黒の仕着せをシャキッと着込み、純白のエプロンの紐キリリと締めて、レースのキャップを清楚にかぶり、軍旗のように勇ましくモップを壁に立てかけて、つややかなタイルの床をつかつか進み、退く朝を引き戻すかの意気込みでガラスの扉を力いっぱい押し開く。そんなメイドの仕事ぶりを、バスルームの影から見ながら、男はその尽きることなき情熱と、真一文字のひた向きさ、そして単純な自己信頼のもつ力に感じ入っているのだった。このうえ何を望みえよう。今度は箒を忘れてきたが、それが一体何だというのだ。靴はバックルが外れており、キャップもぶざまに曲がっているが、それも些細なことではないか。扉の開けたても、ガラスの割れんのが不思議なくらいの凄まじさだが、それも問うまい。何にもましてすばらしいのは、部屋に入ってくるときの、あの笑み、あの意気、ほおにさす夜明けの光だ。楽しかろうはずもない日ごとの雑役が、あれにかかると愛の作品。見よ、毛布を放り上げ、シーツを剥がす時の顔、まるでプレゼントの包みをほどく子どもの顔のようではないか。そしてあの歌声だ。

ロバート・クーヴァー(佐藤良明訳)『女中の臀(メイドのおいど)』思潮社

 アメリカのポストモダン作家・クーヴァーの作品で、原題は“Spanking the Maid”といいます。本作の内容はといいますと、朝メイドが御主人様の部屋にお勤めに入っていき、必ずドジをしでかして、御主人様にお仕置としてお尻を叩かれるということを、延々と繰り返しております。延々と繰り返しているうちに、メイドが御主人様お仕置されているんだか、御主人様がメイドにお仕置させられているのだか訳が分からなくなってくるところがポイントです。
 さて、本書がメイドスキーにとって如何なる意味を持つかというと、まず一つには、西洋人が現在メイドというものに対して抱いているイメージを探る一助になるということ、仕着せはやっぱり黒でないといけないようです(笑)あと頭上はキャップですね、キャップ。
 それはともかく、本書が書かれるきっかけとなったのは、作者のクーヴァー氏が大英博物館の図書室で一冊の「女中の心得を書き述べたマニュアル」を発見したことだそうです。で、そのマニュアルに書かれていた内容は、訳者あとがきから引用すると
 1 知覚を超越したところに神聖な秩序の世界がある。
 2 我々が生きる自然界は、野蛮で暗黒で、重々しく垂れ下がり、グチャグチャ・グニャグニャしていて、時に硫黄の臭気を発している。
 3 そうした罪と混濁に満ちた地上的現実から、一踏み一踏み、光かがやく直線的な整序の世界へ向けて、自己を律し、知を組織し、社会を統御し、“文明”をわたらせることがヒューマンたるもののつとめである。
 4 その「おつとめ」において、より高貴なものは、無知で未開で行ないの粗野なものを導いていく義務を負う。
 5 その「みちびき」は、正しい「ことば」を魂の中へ吹き込むことで実現される。
 ということだそうです。まさに19世紀後半の西欧における世界観を凝縮したが如き理念で、「無知で未開」の対象には、ブルジョアジーに対するプロレタリアだとか、先進国に対する後進国(植民地)が当てはまるわけですが、メイドさんはその階級と、女性という性の両面から劣位のレッテルを貼られていた存在だったのであります。余談ですが、ここでメイドさんを導くのにはお尻叩きをするわけですけれど、植民地に対する場合、そして時によってはプロレタリアに対する場合でも、その手段として取られたのは、近代技術の成果である機関銃をぶっぱなすことでありました。そのくせ欧米列強の軍隊は、自国の兵士が機関銃で撃たれることに思いが至っていなかったのですが、この辺の事情に関してはジョン・エリス(越智道雄訳)『機関銃の社会史』平凡社 を読むと非常に面白いのでお勧めです。両者を連関させて考えると、機関銃を構えたメイドさんフィギュアを見た時の感慨もひとしお増すことは請け合いです。
 閑話休題、クーヴァーのこの小説の中では導かれるべきメイドさんは、自らのつとめを疑わず、御主人様が導いてくれるであろう「理想」めざして突き進む(でも必ずコケる)のですが、導くべき御主人様ときたら、導く方法は「手引き書」に頼りきり、でもそれと実際との違いに戸惑い、その思いはぐるぐる迷走していきます。あたかも第一次世界大戦後、進歩を信じてきた19世紀の理念が崩壊することを示唆しているとも比定できそうです。第一次大戦で英国軍は、勇気があれば敵に勝てると信じてドイツ軍の陣地に突撃し、万単位で撃ち殺されていたのでありました。
 また余談になったので話を戻して、というわけで深読すればするほど味わいの出てくる一冊なのでして、いやもはや深読を越えて妄想驀進中という感じですが、まあ妄想のネタに出来るということこそ面白いということなのです、多分。

(連載第77回・2003.9.10)

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