ブックコレクション

墨東公安委員会の
「今週の一冊」
〜雑破業からマルクスまで〜

第14回〜第26回(2クール目)


#今週のカモフラージュ

「ドイツ軍の制服を着ているというのに?」ジャネットが口を挟んだ。「逃げつづけられっこないわ、五分と」
「去年、ロンドンの一ジャーナリストがオックスフォード・ストリートからピカデリー・サーカスまで歩いた、ヒトラー親衛隊の制服を着てだ」ジェーゴはすごい剣幕で言った。「だが、誰も知らん顔だった。近頃はちまたに制服が溢れていて、みながユニホームにすっかり麻痺しているというのが現実なんだ」

ジャック・ヒギンズ(佐和誠訳)『脱出航路』ハヤカワ文庫

 第二次世界大戦の大西洋を舞台にした海洋小説の傑作です。作者のヒギンズは映画にもなった『鷲は舞い降りた』の作者としての方が有名でしょう。さて、引用部はその一節、イギリス軍の捕虜になったドイツ海軍Uボート艦長が、護送の隙を見て逃げ出したときのアメリカ軍人ジェーゴの台詞です。制服がそこら中に氾濫する戦争中、人々は制服に馴れきってよく見ようともしなくなってしまい、実際このUボート艦長も、列車のボーイに自分はオランダ海軍軍人だと一旦は誤魔化すことに成功してしまいます。現在ではミリタリールックがファッションになったりしてますが、それもまあ平和なればこそなんでしょうね。
 さて、ここ三回、趣向を変えて「制服」ネタを集めてみましたが、どうも男が着るばかりで華やかさに乏しい(笑)という読者のご要望もあろうかと思いますので、次回からまたメイド路線に戻す予定です。花右京メイド隊の5巻も出たしね。

(連載第26回)


#今週のフランス軍

一九一二年になってもまだ、フランスの兵隊はあいもかわらず青い上着、赤いケピに赤いズボンという制服だった。これはライフル銃の弾丸が二〇〇歩幅しか届かず、敵との距離がしごく接近していて、たがいに隠れて戦う必要のなかった一八三〇年当時の服装だった。(中略)ところが、軍服を灰色がかった青か灰緑色に改めるという彼の計画は猛烈な反対にあった。赤いズボンを止めることは、重砲を採用しようという考え同様、フランス陸軍の誇りとは相容れないものだった。(中略)元陸相のエティエンヌ氏は、議会での審議会でフランスのために弁護した。「赤いズボンを廃止する?  バカな! 赤いズボンこそフランスなのだ!」

バーバラ・W・タックマン(山室まりや訳)『八月の砲声』筑摩書房

 第一次世界大戦が勃発した1914年8月の欧州を描いた、ピュリッツァー賞受賞作です。最近新しい版が出されたようですが、筆者の手許にあるのは1965年の旧版です(アメリカで原作が出たのは1962年)。作者はユダヤ人だそうで、それゆえか特にドイツへの見方は極めて厳しいものがありますが、大変詳しく面白い本ではあります。さて、引用の箇所はフランス軍の制服を巡る話ですが、19世紀までヨーロッパの軍服は、現代の我々の軍服に抱く印象とは逆に、派手派手なのが通例でした。引用部にあるように銃の射程がそもそも短い上、銃に使う火薬が黒色火薬のため、発射する度に濛々と白煙を発するのですぐに居場所が分かってしまい、保護色を使って隠れる意味がなかったのでした。そのため、自軍をいかにも強そうに見せる派手な制服が好まれました。イギリス軍のレッドコートなどがよく知られ、ナポレオン戦争の頃が派手制服の最盛期でした。ヨーロッパで軍装コスといえば、この手のナポレオニックが多いんでしょうね。見た目が派手だから。しかしその恰好で二十世紀の総力戦に突入したとは、フランス軍はナポレオンの栄光の呪縛から逃れられなかったのでしょうか。

(連載第25回)


#今週の政党政治

 このような後藤(新平)における鉄道の非政党化の志向は、明治四二年一二月の鉄道院職員服制による制服の制定にもあらわれている。それは、従来現業員のみが着用していた制服を職員にも及ぼそうとするものであったが、後藤によれば、「制服は不偏不党(原文傍点)と云ふ意を表彰する」ものであり、「制服は活動中常に軌道を逸せざるの感念を保持せられしむことの牽制」であった。従って、後藤においては、制服励行を唱えることは、とりもなおさず「党弊」を戒めることであった。

三谷太一郎『増補 日本政党政治の形成 原敬の政治指導の展開』東京大学出版会

 この本をこんな連載のネタにしていいものやら…日本近代政治史の古典的と言ってよい一冊です。何しろ初版が1967年に出て、95年に増補版が出ているのです。さて、本書の内容はひとまず措いて、引用部は原敬の政治行動の中で、鉄道広軌化問題にどのように対応していったかという章なのですが、そこで原敬に立ちふさがるのが後藤新平でした。後藤は鉄道に政党が関与してくることを防ごうと画策し、その一環に制服が位置づけられていたのです。結局は政党が鉄道への影響力をかちとり、それが国鉄の赤字ローカル線問題やらさらには整備新幹線あたりまで繋がらなくはないのですが、それはまあともかく、制服制定には後藤新平の性格もいささか寄与していたと思われます。北岡伸一『後藤新平』(中公新書)には実も蓋もなくこう書いてあります。
 「後藤は制服が好きであった」
彼は軍服そっくりの鉄道員の制服を制定すると、自らそれを着て家に帰り、奥さんに見せびらかして自慢したなんてエピソードもあります。台湾総督府時代にも制服制定して物議醸したり、晩年ボーイスカウトの初代総裁になってこれまた制服制定したり、うーん、さすが。ともあれ、「制服は不偏不党と云ふ意を表彰する」という言葉は、コスカのスローガンにでもしてはいかがかと(笑)。全然余談ですが、筆者は台湾のゼーランディア城(台南にかつてオランダ人が建設し鄭成功が奪った要塞)を訪れたとき、他の展示物に脈絡なく後藤新平の胸像が飾ってあって、説明文に「台湾の近代化に貢献した人」と書いてあったのを見たことがあります。でも台湾人も、後藤新平が制服マニアだったことは知らんでしょうな。

(連載第24回)


#今週の森鴎外

「・・・婦人関係には細心なほど気を配り、自分が独身だものだから、女中も必ず二人は置いた。やむをえず一人しかいない時は、夜は近所に頼んで寝泊まりにやるという具合でした。三樹亭という料亭があって、ここの娘が先生は気に入ってよく出かけていたが、決して一人だけを呼ぶということはない、いつもその妹娘と二人を呼んでいました。時の師団長の井上さんも独身でしたが、この方は本能の赴くままの行動で、先生といい対照でしたよ。・・・」

松本清張『ある「小倉日記」伝』新潮文庫

 松本清張の芥川賞受賞作品です。小倉の第12師団に赴任していた時期(1899〜1902)の森鴎外の日記が行方不明と知った体の不自由な青年が、その時期の鴎外の動静を調べることに生きがいを見出す、という物語です。それはともかく、鴎外は女性関係に気をつけていたというエピソードですが、以前筆者が勝手に提唱した鴎外女中萌え説(藁)に基づけば、実は人数が多い方が嬉しかったという理由で二人雇ってたのかもしれません(そんなわけないって)。なお本能の赴くままの井上さんとは、長州出身の井上光(1851〜1908)で、最終的には大将まで昇進し、日露戦争に第12師団長として従軍した功績で男爵の爵位を授けられています。鴎外は爵位を貰いたかったという説もあるようです。でも結局貰えなかったので、その辺の思いが「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺書に繋がってるのだとか。

(連載第23回)


#今週の正しい呼び方

明治時代には「女中」どころか「下女」「下婢」などと云ったことさえありました。それが今では「女中さん」と呼んでも厭がると云うので、「メイドさん」だとか「お手伝いさん」だとか、いろいろ呼び方に苦心するようになったのですから、随分時勢も変わったものでございますな。

谷崎潤一郎『台所太平記』中公文庫

 大谷崎が晩年にものしたエッセイ風小説です。1958年の発表ですが、戦争の時期を挟んで主人公(=谷崎)の家に奉公した女中さん達の物語です。何がすごいといって、「家が賑やかな方がいいから」と必要が大してなくても女中さんを雇い、そうなると出入りの人も「この娘は器量がとても美しいですからぜひこの家で使ってください」と紹介してくるというわけで、ある種独特な、余人を持って代え難い耽美的な(笑)主人ぶりを発揮しています。さすが谷崎。その辺の詳細は本作をじっくりと読んでいただくこととしまして、引用部は冒頭に近い一節ですが、「下女」「下婢」という呼び方が「女中」に変化したのは明治四十年代から大正初期にかけてだそうです。それが戦後「お手伝いさん」に変わるのですが、そのときに「メイドさん」という言い方もあったと引用部から読み取れます。とすれば、「メイド」という言葉は、ことによると進駐軍経由で日本に入ってきた言葉ではないかと、筆者は推測している今日このごろなのであります。

(連載第22回)


#今週の夢

 1906年に、子供向けの新聞『スメーヌ・ド・シュザンヌ』で連載の始まった『ベカシーヌ物語』は、今日でもフランスの子供たちにもっとも親しまれているマンガである。ベカシーヌは、雇い主のグラン・テール侯爵夫人が経費を切り詰めなければならないので、女中をもう雇うことができなくなったと伝えると、お給料はいただかなくて結構ですから、どうかこのままお宅においてくださいと頼み、トラムウェイの車掌となって働いた金で、自分の部屋代と食事代を払う。まさに、聖女ベカシーヌである。
 私としては、まったく救いのないリアリズム小説の女中たちよりも、フェリシテやベカシーヌのような『純な心』の女中の方を取りたい。たとえそれが現実にはありえない「夢の中の女中」だとしても。

鹿島茂『職業別パリ風俗』白水社

 バルザック、フロベール、ユゴー、ゾラ、モーパッサンなど、19世紀フランス文学の世界に登場する様々な職業の人々が、一体どのような生活を送っていたのかを描いた本です。各々の職業ごとに、その職業の人を描いた一ページ大の絵が添えられているのも目を引きます。ちなみに女中さんの絵では、手にかぶりものを持っていますが、どうやらそれはボンネットのようです。文学作品の引用を絡めた女中さんの様々なタイプについての説明はとても面白く、無教養な筆者もひとつフロベールでも読んでみようかと思わされてしまうほどです。『ベカシーヌ物語』の日本語版はないようですが。なお、引用部は女中さんを扱った章の末尾ですが、著者の鹿島氏が「私」という一人称を使って自らの感想を述べているのはこの章だけなのです。なぜ鹿島氏は女中の章だけ、「解説者」の立場を離れるような、「私」個人の思いを述べたのでしょうか。まさか、いや。

(連載第21回)


#今週のあったらいいお店

 入ってすぐのところに向かい合って席を占めたふたりを、目ざとく見つけたウェイトレスが、すべるようになめらかな足取りで近づいてくる。
「いらっしゃいませ」
 水の入ったコップとおしぼりをそれぞれの前に置き、革張りのメニューを差しだす。
 銀のお盆をきらめかせながら、テーブルとテーブルの間を器用に縫ってゆく彼女たちは、皆、黒のワンピースに、襞で縁どられた白のエプロンという、明治時代のミルク・バーを思わせるアナクロな衣装。「ウェイトレス」というよりは、「女給さん」といった趣きで、店内の調度品とともに、店主の趣味の徹底ぶりがうかがえる。

雑破業『ゆんゆん☆パラダイス 少年注意報!』ナポレオン文庫

 連載二十回目にして表題通り雑破業の作品に到達しました(笑)。雑破業の代表作でのち辰巳出版から復刻されていたゆんぱらの続編なのです。雑破業の作品でメイドといったら『シンデレラ狂想曲』の深冬かなあと思ったのですが、あまりにベタかと思い直しナポレオン文庫から引用しました。余談ですが筆者が台湾を訪問した折、書店で雑破業氏の著作が台湾版になって出版されているのに感動し、思わず『灰姑娘狂想曲』を買い込んでしまいました。かつて『ファニー・ヒル』が輸出され英国の国威を発揚した如く(連載14回参照)、雑破業氏も日本の国威を発揚したのかもしれません。ちなみに同書では深冬の肩書きの「メイド」に「女傭」という訳語を当てていますが、同じく台湾で買ったゲーム雑誌では、「上海メイド物語」というゲームの題名の訳が「上海女僕物語」となっていました。「メイド」の訳はまだ定まっていないようです。ついでに書くと、『灰姑娘狂想曲』では「コスプレ」を「模<イ方>(編注…人偏に方で一字。倣に同じ)」と書いていますが、ゲーム雑誌の「同人誌宴會」というゲームの記事に拠りますと、「扮装遊戯」となっています。これも定訳がないようで、アジア20億人民の萌え連帯のためにも一刻も早い定訳の普及が望まれます(なんのことやら)。あ、そうそう、引用部ですが、「ミルク・バー」というよりは「ミルクホール」の方が明治っぽいと思うのですが。

(連載第20回)


#今週の出会い

 「檀那樣御飯(原文「飯」は旧字)ができましたが」と言ふ聲に、びつくりしてあたりを見廻すと、日はいつか暮れかけたと見え、座敷の中は薄暗くなつて、風が淋し氣に庭の木を動してゐる。立つて電燈を點じる足元へ茶ぶ臺を持ち運ぶ女の顔を見ると、それは不断使つてゐた小女ではなくて、通夜の前日手不足のため臨時に雇入れた派出婦であるのに氣がついた。
 年は鳥渡(ちょっと)見たところ二十五六かとも思はれる。別にいゝ女ではないが、圓顏の非常に色の白いことゝ、眼のぱつちりとして、目に立つほど睫毛の濃く長いことが、全體の顏立ちを生々と引き立たせてゐる。

永井荷風『ひかげの花』(日本現代文學全集33)講談社

 永井荷風は独身生活を送り、自炊していて下女などもあまり置かなかったという徹底した個人主義者でしたが、これは下女ならぬ派出婦が登場する小説。元妾で旦那の財産を貰った女性のヒモをやってた主人公が、その相手の女性が亡くなってどうしようと頭を抱えている時、臨時に雇った派出婦に一目ぼれ。同棲しますが、故・元妾から貰った遺産が昭和恐慌でなくなってしまい、生活に困って元派出婦の現同棲相手を私娼にして・・・てなお話。花柳界を描いた『腕くらべ』、女給が主人公の『つゆのあとさき』に続く作品です。引用部はその二人の運命の出会いシーンなのであります。「檀那樣」という呼びかけが面白いので引用しました。あと余談ですが、荷風の日記『断腸亭日乗』にも少しは女中ネタがあり、「近所に住んでるオーストリア人は日本人の下女と結婚した」とか、そんな話も載ってます。

(連載第19回)


#今週のピカレスク

 トレント一家はメイフェア区ハイウォーター通り一七番地に住んでいたが、ジョージ王朝時代の豪壮な、召使たちの部屋は別にして二十三室もある邸宅だった。雇われている召使が全部で十二人・・・・・・馬車の御者、馬車の世話係二人、庭師一人、玄関番、執事、料理長に台所手伝い二人、それに女中が三人。また、下の子供三人のための婦人家庭教師もいた。(中略)
 召使たちは満足していた。最近雇い入れられたものはなく、また最近解雇されたものもなかったし、みな厚遇されていて、この家庭、特にトレント夫人に対して忠実だった。馬車の御者は料理人と結婚していたし、馬車の世話係の一人は二階係の女中の一人と同棲していたし、あとの二人の女中はなかなかの美人だったので、男友だちに事欠かなかったに違いない・・・・・・近隣の召使たちの中に愛人をみつけていた。

マイクル・クライトン(乾信一郎訳)『大列車強盗』ハヤカワ文庫

 クリミア戦争中のイギリスを舞台にした小説です。実話に基づいているようですが、どこまでがそうなのかは分かりません。クリミア戦争に従軍している兵士たちに支払う給与の金塊を、輸送中の列車から奪取しようとする強盗たちの物語で、それ自体すこぶる面白いのですが、文中事細かに描写されるヴィクトリア朝英国の社会や風俗も大変興味深い作品です。家事使用人の多さはヴィクトリア朝の特徴の一つだけに、召使階層に関する説明も随所に見られますが、その中から金塊の金庫の鍵を持つ頭取一家の様子を描いた部分を引用してみました。12人中、女性の「メイドさん」は後半の6人が相当すると思われますが、馬車が相当人手のかかるものであったことも伺われます。余談ですが、作者のクライトンという人は「ジュラシック・パーク」の原作者で、また最近日本でも人気の「ER」の原作者でもあるヒットメーカーですが、やや本作は他の作品より系統が異なる気がします(他の作品は読んだことないんですが)。また「大列車強盗」は映画化もされましたが、同名のアメリカで作られた史上初のストーリー映画の方が有名なようです。

(連載第18回)


#今週の考古学

 女召使
 紀元前1900年頃(中王国時代)
 エル・ペルシャ出土
 木、彩色

 どこか見知らぬ土地で、ふと道すがら、こんな少女の姿に目がとまった、といった風情がある。頭上の籠に焼きあがったパンか何かを載せて、いまどこかへ運んでいるところだろう。(中略)何の装身具も身につけていないが、両前肩に垂れる房々とした黒髪、くま取りが少々きついが、整った顔立ち、美しい姿態。特に興味深いのは、彼女が身にまとっている衣類である。右乳房を露わに、左肩だけで吊っている。

『「大英博物館展―芸術と人間」図録』より
古代エジプト出土品の木像の写真につけられたキャプション

 およそメイドだろうが女中だろうが、時代も場所も節操のない本連載ですが、前回の中世にあき足らず、今回は遂に古代エジプトというおよそメイド趣味とかけ離れた領域に突入してしまいました(笑)。引用元は1990〜91年に行われた展覧会の会場で売られていた展示物カタログです。フルカラーの立派なものですが、書籍ではないのでISBNコードなどもなく、入手は非常に困難と思われます。さて、これはエジプトで出土した木像についている解説。古代エジプト人は、死後の世界での生活のために、現世での日常生活の様子を再現した副葬品を作りましたが、これはその一つです。なお中王国というのは古代エジプトが繁栄していた時代の一つですが、ピラミッドを造ったのは古王国です。女性の召使いの服装を表しているのが面白いので引用してみましたが、これのコスプレはさすがに不可能ですね。

(連載第17回)


#今週のやすらぎ

 空襲警報が鳴ると、たとえ軍隊でも防空壕に逃げ込むことになっていた。(中略)大勢の兵隊が入るので、体と体がぶつかり合い重なり合って、今のラッシュアワーの電車の混み方に等しい。(中略)腰は下ろしているが、横になどもちろんなれない。窮屈な姿勢のまま眠ってしまうのだ。
 自分が居眠りをしているのに気づいて、中原淳一は自分の家の女中が防空壕に入るとよくウツラウツラ眠っていたのを思い出した。ああ、兵隊と同じだ、としみじみ思い、女中を叱りとばさず、居眠りをさせておいてやればよかったと述懐している。

歴史探検隊『50年目の「日本陸軍」入門』文春文庫

 先週に引き続き軍事系の本からの引用ですが、先週の本がマニア向けとすれば、本書は初学者向け、一般向けでしょう。それだけに粗もあったりしますが、とりあえず本稿ではその辺は大目に見ることにしましょう。今週はコスチュームカフェ8号店が開催されましたが、メイドさんのコスプレと並んで軍装コスも目につきました。コスプレ業界では両方兼業なさっている方もおられるようですが、メイド趣味者とミリオタの兼業者も結構いるのではないかと思います(笑)。さて、引用は旧陸軍での兵士たちの生活を描いた箇所ですが、入隊したての新兵は古参兵の雑役にこき使われ、まるで女中のようだという話です。文中の中原淳一という人は画家だそうですが、徴兵された時の経験から「二等兵は女中だ」との感想を抱いたとの由です。新兵と女中は身分階層の下位に置かれ、上位の者の雑用に追われるところが類似点なのですが、だからといって、メイドコスと軍装コスがイベントで多い理由の説明にはもちろんなりません。

(連載第16回)


#今週の救世主

 不思議な噂が届いたのは、この絶望の局面でのことだった。その人は「ラ・ピュセル」と呼ばれていた。もとは「処女」の意だが、俗語では単に「メイド」を指すこともあった。さしあたり、若い娘を連想させる言葉である。それが女だてらに、凄いことをいっていたのだ。自分はオルレアンの包囲を解放し、シャルル7世をランスで正式に戴冠させる。(中略)後世にフランス愛国心のシンボルとなり、また聖女として崇拝の対象ともなったラ・ピュセルは、むしろ本名の方が世に知られている。伝説の救世主、ジャンヌ・ダルクの登場だった。

佐藤賢一「オルレアン攻防戦」
(『戦略戦術兵器事典5ヨーロッパ城郭編』学習研究社)

 佐藤賢一氏といえば、「双頭の鷲」などで著名な作家ですが、上の引用は学研の戦史ムックからの引用。学研は最近この手のミリタリ系に力を入れていて嬉しいのですが、いつの間にやら株価は百円を割ってしまっています。好きな本なら財布の紐が弛むマニア向け商売、果して会社を救えるか。それはともかく、英語の maid も、辞書を引くと「少女、娘」という意味があり、元を辿れば「処女」の意の maiden になるらしいので、フランス語と流れは共通の展開をしていたのかもしれません。大体において、ことばというものは時の流れと共にその意味が段々世俗的になってくるものではないかと思います。key ということばが宇宙の神秘を解く象徴からただの鍵に変化していくように(出典:高山宏『ガラスのような幸福』)。などとというほどもったいぶる必要もありませんが、ちなみに、女中という言葉も江戸時代はもっと身分の高い、一家の奥様くらいの意味だったのであります。

(連載第15回)


#今週のお手つき

 ところが寝室で帽子の紐を解いている間、私は女中のハンナの声と何やら掴み合うような物音を聞いたように感じて、思わず聞き耳を立てました。(中略)彼女の立てる声は戸口に立っている私にさえ、聞き取りにくいほど小さかったのです。「旦那様、いけません……離して下さい……私はあなたのものではありません……私のような身分の女に手を出すなんて……旦那様、奥様がお帰りになります……いけません……声を立てますよ……」

ジョン・クレランド(中野好之訳)『ファニー・ヒル』ちくま文庫

 「世界最初のポルノ小説」と評される(1748〜49出版)作品です。イギリスで出た作品ですが、解説によるとそれまで大陸からの輸入でエロ本需要を賄っていた英国が、この作品によって輸出国に転じたというくらいな評判だったんだそうです。騙されて娼婦(時に妾)となった美少女ファニーが辿る遍歴を一人称で語っているという筋でして、上の引用はファニーを囲ってる旦那様が、気まぐれを起こしてファニー付きの女中に手をつけちゃうシーンで、これを見たファニーは自分も対抗して浮気に走るのですが、まあ話の筋は割とどうでもいいです(笑)。あと余談ですが、本書は中野好之氏の訳以外に、吉田健一訳の版が河出文庫から出ています。これはもともと三十年余も前の訳であるため、全体に“自主規制”が施されており、この女中の台詞自体が存在しません(でも当局から文句が来たそうです)。もっと余談ですが、コリン・ウィルソン(関口篤訳)『世界残酷物語』では、18世紀人のセックスへの見方の例として、本書のこのシーンが引用されております。そこの訳はこうなってます。
 「お願い、ご主人さま、やめて……、あたしを放して、……あたし、ご主人さまのお相手の柄ではありません……あたしみたいな卑しい女にこんなことをするとお名前に傷がついてしまう……ご主人さま、お願い、奥様がもうお帰りになります……あたしがこんなことをしたら……声を立てていいんですか……」
 要するに、旦那様なのかご主人さまなのかは、好みの問題ということで。
 同時代の『パミラ』『クラリッサ』はまた日を改めて紹介したいと思います。

(連載第14回)

第1回〜第13回(1クール目)

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