ブックコレクション

墨東公安委員会の
「今週の一冊」
〜上野千鶴子からシュリーマンまで〜

第53回〜第64回(5クール目)


#今週の色恋

 勇敢なるヘンリー・ステッドフォード・ルーク船長のこの上ない親切と慇懃さには、ただ賛辞を贈るほかない。(中略)彼は航海術に精通し、経験も豊富で、どんな困難にもたじろがず、しかも実に沈着にふるまう。一言で言えば、まさに「船長」なのである。鼻が半分欠けているが、それにはいわれがある。数年前船のメイドに惚れた一人のコックが海のただなかで即刻結婚を許可してほしいといってきた。船長が、港に着く前の結婚は認められないと拒否すると、猛り狂ったコックは彼にとびかかり鼻に噛みついた。それで鼻が半分ちぎれたというわけだ。船長は恋狂いのコックを鉄鎖で縛りあげ、セントヘレナ島へ寄港したさいに裁判所に引き渡した。裁判所はコックに七年の流刑を宣言した。

ハインリッヒ・シュリーマン(石井和子訳)『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫

 トロイの遺跡を発掘したことで有名なシュリーマンが、はじめて世に送り出した書物です。商人として財を築いたシュリーマンは、念願の古代文明発掘にとりかかる前に世界旅行をし、当時まだ江戸幕府が存在していた1865年の日本と、清国とを訪れました。その体験を綴ったのが本書で、この中でシュリーマンは清のことを不潔で腐敗しているとこき下ろす一方、日本に関してはやけに好意的な記述を多く残しています(それだけに訳者あとがきなんかにはやや暴走気味の感想が綴られていたりもしますが)。なかなか貴重な幕末日本の観察です。
 ですが、引用部はそれとは全く別でして、シュリーマンが日本を離れアメリカへ渡る時の船の船長についての一節です。メイドさんに惚れた結果が流刑七年、というお話ですが、船にメイドさんが乗っていたというのが面白いところです。勿論クイーンエリザベス号みたいな大型豪華客船なら不思議ではないのですが、ルーク船長の指揮する船は小さな帆船に過ぎません。こういう外界と隔絶された空間に女性が単独で乗り込むのはなかなか危険が伴う、という例とも考えられます(船長の奥さんが乗り込む、という例は多く、有名なマリー・セレスト号もその一例です)。ちなみにシュリーマンの乗ったこの航海時にも「四十代のメイド」が乗っていたそうですが、彼女は移民が目的だったとのことです。

(連載第64回・2003.5.4)


#今週の詐欺師

「・・・英国では召使の待遇はどうなの? あたしたちが黒ん坊を扱うよりも上等ですか?」
「とんでもない! あちらでは召使はものの数には入りませんよ。犬よりもひどい待遇です」
「あたしたちのように、お休みをやらないの? クリスマスとか新年の一週間とか七月四日の独立祭とか?」
「まあ、ちょっと聞きなさい! それだけ聞いても、あんたが英国に行ったことがないのがわかりますよ。・・・年がら年じゅう、休みなんてないんです。サーカスにも行かないし、芝居にも行かないし、黒ん坊の見世物にも、どこにも行かないんですよ」
「教会にも?」
「教会にも」

マーク・トウェイン(村岡花子訳)『ハックルベリイ・フィンの冒険』新潮文庫

 当たり前の話ですが、ヴィクトリア朝のメイドと現在の日本は秋葉原界隈で通用するメイドさんの概念とは大きく異なっているわけでして、それは時間的地理的隔絶を思えば当然といえば当然なことでしょうが、同時代的にも大西洋を隔ててみたら、やっぱり情報が伝わっているわけでもないというわけでして、引用したのは皆さんご存知のトウェインの名作です。『トム・ソーヤーの冒険』ともども皆さんお読みになった事があるかと思います。
 引用部はハックが心ならずも詐欺師どもの片棒を担ぐ羽目になってしまい、「英国人牧師の従者」のふりをして少女にでまかせの英国の話をしながら、何とか正体を見破られないように奮闘しているシーンです。まあ、この当時のアーカンソー州の人間の外国への知識なんてこんなもんでしょうが、今だって大して変わってないんじゃねえかとブッシュ大統領の顔をテレビで見ながら思う今日このごろなのであります。

(連載第63回・2003.4.28)


#今週のご奉仕

 大阪国防婦人会がエプロンを着て集まることにしたのは奇抜ながら卓見であった。エプロンは当時の言い方、正確にはカッポウ着だが、今やカッポウ着は国防婦人会のシンボルであり、活動姿勢を端的に表現した。
 当初、彼女らは出征・入営兵士にお茶の接待をするためにカッポウ着のまま薬缶をさげて港へ行ったにすぎなかった。(中略)だがカッポウ着の奉仕姿は市民に予想外の好評を博す。会員は奉仕時のみならず、そのまま堂々と街頭に出るようになった。大日本国防婦人会に発展して、陸軍当局も「エプロンこそ国防婦人会の精神」と持ち上げる。こうして正式の会服となる。
 カッポウ着は台所の労働着である。制服という概念とはほど遠い。それをあえて制服にしたところに面白さがある。

藤井忠俊『国防婦人会 ―日の丸とカッポウ着―』岩波新書

 「国防婦人会」というのは、昭和のはじめ、満洲事変で日本が一種の祭り状態(2ちゃん用語)にあるなかで生まれた団体です。それは大阪の主婦たちが、戦地に赴く兵隊さんを慰問したり献金を集めるということから始まったものでした。しかしそれがメディアに取り上げられて評判になり、軍当局も注目するところとなります。そして満洲事変以後の軍部の台頭のなかで国防婦人会は当局の後押しを受けて組織を拡大させ、1941年には会員は一千万人にも達します。最終的には大日本婦人会という形に発展解消し女性は強制加入となってしまうのですが、いわば「小さな親切」が「大きなお世話」になってしまった、「奉仕」が「義務」になってしまった歴史的事例であります。
 その国防婦人会の象徴が割烹着だったんですね。ゲームのお蔭で「和服+割烹着」という衣装への萌え志向も強まっているようですが、実は割烹着にはそういう暗い過去があったのだというお話です。教育改革の話を聞くにつけ、奉仕活動は義務づけるものじゃないと思う今日このごろなのでした。

(連載第62回・2003.4.21)


#今週の没落華族

 外骨は石川島を出獄して以来、緒方八節(やよ)という女と同棲している。表向きは下女ということになっているが、この年(明治二十六年)二十三歳になるこの女は、外骨の実質的な妻としての位置にいる。八節は旧肥後高瀬藩主、故細川采女正利愛の次男緒方倫親の次女にあたる。長女たをは二十六歳になり、品川東海寺春雨庵の住職伊藤宗温のもとへ妾奉公に出ている。妹のいくは麻布網代町で下女奉公をしている。いくは十七歳になったばかりである。
 華族階級の緒方家がこれほどまでに零落したのにはわけがある。緒方倫親は(中略)父細川采女正の四十一歳の厄年に生まれた。俗に「四十二の二つ子」といわれ、親が四十二歳になった時の二歳の男児は親を食い殺すと信じられていたため、倫親は誕生と同時に細川家の家老緒方十左衛門のもとへ相続養子に出された。(中略・ところが)細川家の現当主で倫親の実兄にあたる細川利永は明治四年の廃藩置県の際に、廃藩とともに采女正の約束は無効になったとして一方的に倫親への扶助を打ち切ったのである。生活力のない華族の父娘が路頭に迷うのは必然だった。

吉野孝雄『宮武外骨』河出書房新社

 宮武外骨(1867〜1955)は、反骨を貫いたジャーナリストとして著名であります。様々な雑誌や書物を発行すること百数十点、ときに官憲の弾圧にあっても屈することなくおのが道を貫いた人でした。自分で雑誌を出す一方、新聞や雑誌を集めることも好きで、のちにそのコレクションをもとにして東大に作られた明治新聞雑誌文庫の初代主任を務めました。ちなみにMaIDERiA出版局の『大正でも暮らし』のネタ本の一部も、明治新聞雑誌文庫の所蔵だったりします。本書はその伝記で、まことに面白い本です。
 さて、外骨はそれ自体大変面白いのですが、本題と関係ないので(笑)割愛しまして、引用部はのちに外骨の妻になった八節の出自を述べた一節。没落した華族階級の娘たちが妾と下女になったとは、まるで作り物の物語のようです。ところで何故外骨が事実上の妻を「下女」としているかというと、外骨は細川家に緒方家への扶助料を払うよう交渉をしていたのですが、それが自分家のためにする私欲と取られるのを嫌ったためだそうです。メイドさんが旦那様の事実上の愛人、なんてケースはよく聞きますが、逆のこともあったというお話でした。

(連載第61回・2003.4.14)


#今週の英語教育

176
 The maid was dead tired of her household chores.
 お手伝いさんは毎日の家事にすっかり飽きてしまった。

鈴木陽一『DUO』ICP

 単語・熟語を覚えるための英語教材の定番、『DUO』です。一つの例文に出来るだけ多くの重要語をを盛り込むことで、最小の数の例文で最大の効果を発揮してくれる、筆者のような英語の苦手な受験生だった人間にはとてもありがたい(笑)参考書でした。もうちょっとやる気のある受験生ならば、普通はZ会の『速読英単語』でしょうが、速読英単語の一、二頁の英文を読むのにすら耐えられない手合いにはこれに限ります。
 さて、引用したのは、筆者が愛用していた『DUO』の昔の版(1996)の例文です。今はVer.3くらいになっているようで、その現在発売されている版では例文が変わっていてこれはありません。というか、 maid という単語自体が索引から姿を消していました。改訂の際に削られたわけで、つまり「現代英語の重要単語」に maid は認められなかったということですね。・・・まあ当然か。あと訳が「お手伝いさん」なのも如何にも現代的。
 本書にはこんな例文もあります。
 Housewives may well complain about their daily routine.
 主婦達が日々の決まりきった仕事に不満を言うのももっともだ。
 例文を作った方は、家事というものは毎日決まりきったことを繰り返すばっかりの、詰まらないものだと感じておられるようです。

(連載第60回・2003.4.6)


#今週の疑心暗鬼

「・・・君はあのひとには充分に満足しているんだね?」
「ええ、かなり――あなたもそうじゃなくて? 料理は上手ですし、やさしくて母親のようなおばさんですわ。(中略)神さまのおかげですわ、あの情けないジェーンがまったく予告もなしに出ていった直後に、あんなふうにサットンさんが現れるなんて。(中略)もちろん、推薦状もなくて雇うのは危険だったかもしれませんけど、未亡人の母親を養ってるのだとしたら、推薦状はもらえないでしょうからね」
「もら――もらえないとも」ママリー氏は言った。あのときは、この点で不安を感じていた。しかし誰かが必要だということははっきりしていたので、あまりあれこれと口をはさみたくはなかったのだ。

ドロシー・L・セイヤーズ(新庄哲夫訳)「疑惑」
(エラリー・クイーン編『世界傑作推理12選&ONE』光文社)

 メイドさんのような家事使用人が衰退していった理由は様々に考えられますが、一つには「家庭」という「社会の荒波から守られた安息の地たるべき場所」に、「家族」以外の他人を入れるということの煩わしさ、ストレスということもあるのではないでしょうか。もちろん「家庭」に関するそういうあるべき姿が広まったのは19世紀のことに過ぎませんし(しかもその通念と実態の乖離が、「家庭」を巡る様々な問題を今日引き起こしているわけです。いくらお題目みたいに「家族はかくあるべき」と唱えたって解決するわけはありません)、family という語にはそもそも使用人も含まれていたのですが。
 引用したのは、クイーンが編んだ推理小説アンソロジーの中の一編で、「家庭」に未知の他人を入れるために生じた疑心暗鬼の様相が描かれた一編です。病弱な妻を愛するママリー氏、その家に急遽雇われた料理人のサットン夫人(「黒いドレス」に帽子をかぶり、眼鏡をかけたおばさんのようです)。あたかもその時世間を騒がせていたのが、雇い主に砒素を盛った家政婦の事件でした。彼女は自分に遺産を残していた父親や雇い主を毒殺して遺産を得ていたのですが、次の雇い主にも同じことをして発覚、逃亡していたのです。サットン夫人を雇ってから、どうもママリー氏は胃の具合が悪い。もしかしてサットン夫人の正体は――ママリー氏の心にふと浮かんだ疑惑。そしてそれを裏付けるとも取れそうな物証が・・・あっと驚く結末は読んでのお楽しみ。見事な推理小説です。
 他にも、メイドさんを雇う上で必須アイテムだった前雇用者の推薦状の位置付けも伺えたりする、短いながらも味わい深い作品です。作者が末期ヴィクトリア時代に生を受けた英国人であるだけのことはあります。

(連載第59回・2003.3.29)


#今週の純愛

 佐田家に亡子爵の友人の孤児でゆきという娘が養われていた。子爵の生きているあいだは娘たちと同じ扱いを受けていたが、その歿後(中略)いつかしら小間使のような位置におちてしまった。然しそんなことを悲しんだり恨んだりする風はなかった。明るいすなおな性質で、眼もとに毎(いつ)も柔らかい微笑を湛えている。(中略)英一氏(佐田子爵の婿養子、現子爵)は居間へ籠って強い酒を呷った。悔恨と自己否定、泥酔した彼は酒壜や杯を打破り、床の上に倒れて呻吟した。その物音を聞きつけてゆきが来た。彼女毀れ物を片付け、彼を援け起こし、硝子の破片で切った指の傷の手当てをしてくれた。そしてそれをしながら「英一さまがこんなにおなりになるなんて、――」こう呟いてはおろおろと泣いた、「あんまりだわ、あんまりだわ、――」彼はゆきの呟きを聞きその涙を見た。そして溺れる者が救いを求めるように彼女の方へ手を差伸ばした。
「自分の生涯を通じてもっとも純粋で素朴な瞬間であった」子爵の告白はこう書いている、「――そして二人の間に愛が生まれた」

山本周五郎「我が歌終る」(『寝ぼけ署長』新潮文庫)

 山本周五郎というと『樅の木は残った』など時代小説の印象が強いのですが、その山本が書いた数少ない探偵小説の連作短編が本書です。舞台は戦前のある地方都市、そこに赴任してきたいつも寝てばかりいる「寝ぼけ署長」が、様々な事件を人情味溢れる方法で解決してゆく物語です。
 引用部は、その中の一編、派手な遊蕩で知られた佐田子爵の死を巡るお話。享楽の人生を送った佐田子爵の秘められた内面を形作ったエピソードの陰に愛を捧げた小間使の姿あり、というわけですが、立場の違いを超えた愛の尊さと厳しさが短い中に凝縮されております。それを陳腐に堕すことなくさらりと描けるのは山本周五郎ならではでしょう。それにしても、小間使に同情して泣いてもらえたら――いいですね。

(連載第58回・2003.3.22)


#今週の大阪人

 また二百億円儲けてしまった!! 天才相場師ヘンリー松本の朝

 ヘンリー松本の朝は早い。目をさますとすぐ、彼は絹のパジャマを着たまま、ブロードウェイのダンサーをしていたメイド、ジェシー・スティーブンスの右乳房を愛撫しながら歯をみがく。ヘンリー松本は左利きなのである。
「わしは歯をみがくのが大嫌いじゃった。みがかなならんと思っても、ついついなまけてしまう。わしは意志の弱い男よ。しかし、頭はええし金はある。わしは考えついたんじゃ。お乳をもむついでに歯をみがこうとな」
私はヘンリー松本の言葉に、「北浜の平家ガニ」「かぶと町の脱脂粉乳」と恐れられる男の、意外に人間的な一面を見出すことができた。

中島らも編著『なにわのアホぢから』講談社文庫

 最近大麻でラリってたのがばれてお縄になった中島らも氏が、あやしい仲間と友にこしらえた一冊です。座談会とかマンガとか色々ヘンな内容てんこもり。小生はその昔、朝日新聞の「明るい悩み相談室」でその名を知って以来、中島らも氏には大いに楽しませてもらってきましたが、やはりあのぶっとんだ発想を生み出す脳髄には時としてバランスを取るためおくすりが要ったのかなあ・・・などと逮捕の報道を聞いて思ったのでありました。
 本書はなにせ十年以上前の本なので、ネタの古さが否めない箇所も散見されますが、笑えることは確かです(東北人の読者に対しては保証しかねますけど)。引用箇所は「大阪フライデー」とゆう大阪の大ぼらレポートの一編です。この箇所が、ヴィクトリア朝英国メイド研究に全く益するところが無いのは明々白々でありますが、「大阪人の脳内メイド像は如何なるものか」とゆう意味では、まあこないなもんやろ。

(連載第57回・2003.3.15)


#今週のコスプレ居酒屋

服部時計店の隣りに最近新築のなつた船のクロネコは外貌を大きな商船に象(かたど)つて、レストランとバーと、珍奇な設計を施して銀座のカフエーの一名物となつてゐる。規模の大きい点では東京第一といつていゝだらう。(中略)当局から注意を受ける前の計画が、バーを寺院になぞらへて女給に墨染の衣を纏はせ時々お経を唱へさせるとかいふ珍趣向だつだので、それが駄目となつた今ではそこに特別の面白味のないのは当然かも知れぬ。

今和次郎編纂『新版大東京案内』ちくま学芸文庫

 「考現学」の創始者として知られる今和次郎が、1929(昭和4)年に世に送り出した東京ガイドです。大震災から復興した東京市(その範囲は下町と山手線に囲まれた範囲ですが)の姿を生き生きとかつ詳細に描き出しています。このころはカフェーが隆盛を極め、女給が客引き合戦を繰り広げていた時代でした。
 引用部はその東京のカフェーを扱った章からの引用です。先月名古屋の巫女居酒屋「月天」が閉店しましたが、似たような企画は七十年前の戦前からあったというお話。しかし墨染めの衣裳にお経ではねえ・・・さすがに巫女さんの方が(当時の人にとっても)いいんじゃないかと思われますが、まだ軍国主義のはびこる時代の前とはいえ(満洲事変は1931年)、さすがに時代柄まずかったんでしょうね。まあお寺計画も当局に潰されたんだから、結局は同じことですが。

(連載第56回・2003.3.8)


#今週のハプスブルク家

ウィーン宮廷の作法には、ときにひどく奇妙なものがある。たとえば食事のときにも手袋をはめたままでいるとか、靴は一度だけ履いて、下女に下げ渡してしまうとかいう規則である。靴に関していえば、召使い用の靴を皇后が履きならしているようなもので、軍人が長靴を従卒に履きならさせているのを考えれば、まったく滑稽な話である。

ジャン・デ・カール(三保元訳)『麗しの皇妃エリザベト オーストリア帝国の黄昏』中公文庫

 先週名前が出てきたりもしましたが、ヨーロッパ史上もっとも著名な皇帝家・ハプスブルク家の君主フランツ・ヨーゼフ1世(在位1848〜1916)の皇后エリザベト(1837〜1898)の生涯を描いたのが本書です。ハプスブルク家はヨーロッパ切っての名門でしたが、19世紀になるとオーストリア帝国は他の国々に後れを取るようになり、先週の本にもあったように領内の様々な民族が独立や自治を求め、帝国は解体の危機にさらされつづけました。その厳しい時代、ヨーゼフ皇帝が心から愛したのが妻エリザベトでした。しかし自由を愛するエリザベトと伝統と格式に固執する姑の対立は激しく、のちには皇太子が謎の死を遂げるなど、家庭生活も厳しいものでした。エリザベトは宮廷生活を厭い、ひたすら各地を旅して回るようになりますが、最後は自らもテロリストの兇刃に倒れることになります。
 さて引用部はそのハプスブルク宮廷の格式のややこしさを描いた一節。侍女やメイドさんが女主人のお下がりを貰うというのはいつでもどこでもよくあった話ですが、毎日靴を新調しては召使いにやってしまうとはさすがハプスブルク家、イメルダ夫人の及ぶところではありません。エリザベトはこのようないささか不合理な格式に耐えられず、旅に逃避することになったのでした。使用人の話はあまり出てきませんが、この時代に関心のある向きには、面白く読めるでしょう。

(連載第55回・2003.3.1)


#今週のナショナリズム

 第一次大戦は王朝主義高潮期の終焉をもたらした。一九二二年までに、ハプスブルク、ホーエンツォレルン、ロマノフ、オスマンの王家は波間に消え去ってしまった。ベルリン会議には国際連盟(リーグ・オヴ・ネーションズ、諸国民の連盟)がとって代わり、そこからは非ヨーロッパ人も排除されることはなかった。このとき以降、国民国家(ネーション・ステート)が正統的な国際規範となり、したがって国際連盟にあっては、残存する少数の帝国といえども帝国の制服(ユニフォーム)ではなく国民衣裳(コスチューム)を身にまとって出席した。第二次大戦の地殻変動をへて、国民国家の潮流は満潮に達した。そして一九七〇年代半ばまでには、ポルトガル帝国すら過去のものとなった。

ベネディクト・アンダーソン(白石さや・白石隆訳)
『増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』NTT出版

 今年はコスチュームカフェの妹分(?)イベント・帝国メイド倶楽部が五月でなくて九月なもので間隔が開いて、先週のコスカに行けなかった筆者は甚だ残念でなりません。ところでコスチュームカフェって「制服系同人誌即売会」とカタログの表紙とかに書いてありますよね。だけど「制服」はユニフォームであってコスチュームとは違うんでないかい、などととつらつら考えている時、引用した一節が目に留まったのでした。
 引用元は、ナショナリズムについてのもはや古典となった名作です。「国民」という、一見あたりまえすぎる自明のように思われる存在が、歴史的にどのように形成されたかを追っています。そして「国民」とは、とどのつまり人々の想像力によって、会ったことも話したこともない人々を画然とした集団の同胞と考えることなのだと説明しています(サイトにブルーリボン貼り付けている人のうち、何人が横田さんの知り合いだったのでしょう?)。読んでおいて損はない一冊です。
 本書は学術書ですが、極めて読みやすいのが特長で、一つには各々の章が大体30頁くらいの長さである程度纏まった内容になっていることもその理由かと思います。引用部は第7章の冒頭です。様々な民族を一つの帝国(ロシア帝国、オスマン帝国、大英帝国etc)に纏め上げることを「制服」に例え、民族ごとの独自性を主張することを「衣裳」と表現しているわけです(原書を見ていませんが、「国民衣裳」が national costume の訳なら、「民族衣装」の方が普通の言い方でしょうが、他の部分との整合性からこうしているのでしょう)。ナショナリズムが興隆し、国民国家が国のあるべき姿と考えられるようになってくる19世紀に、旧来の王朝がどう対応しようと努力したかを描いた前章を承けての表現です。つまり、ユニフォーム=帝国はコスチューム=国民国家に敗れたわけです。
 それにつけても、「メイドさん」イベントに命名するのに、「帝国」の二文字を冠したスタッフの慧眼には、筆者は脱帽せざるを得ないと感じています。・・・年二回とかやりませんか? がんばって新刊作るから(笑)。

(連載第54回・2003.2.22)


#今週の名探偵

「・・・長年つとめている三人の女中は、絶対に信用できるものばかりです。もう一人、ルーシー・パーという二番目の小間使いは、やとい入れてまだ数ヶ月にしかなりません。しかし、りっぱな推薦状をもってきていますし、いつもたいへんよくつとめてくれています。ただ、たいへんきれいな娘でして、ひかされた男たちがときおり宅のまわりをうろついていることもあります。これが玉にきずというわけですが、わたしどもでは、どこからみても申しぶんのないよい娘だと思っています。・・・」

コナン・ドイル(阿部知二訳)「緑柱石宝冠事件」
(『シャーロック・ホームズの冒険』創元推理文庫)

 連載の第一回はクリスティで始まりましたから、再開もそれに倣って、ヴィクトリア朝英国のイメージを日本人に定着させるにもっとも貢献したであろう、ホームズ譚から採ってみました。
 残念ながら、ホームズものの中ではメイドさんがクリスティの作品のような活躍をすることはないのですが(事件で一番重要な役割を果たしたのは「マズグレーヴ家の儀式書」でしょうか)、登場自体はちょくちょくしていますので、明らかに「美人」と書かれている作品から引用してみました(笑)。ちなみに新潮文庫では(延原謙訳)「第二小間使い」と書かれています。多分客間女中 parlourmaid のことではないかと思われます。
 ところで、ホームズは様々な出版社から出ていますが、この東京創元社の場合、最後の短編集である『シャーロック・ホームズの事件簿』は「著作権の関係で特定の出版社からしか翻訳・出版することが許されず、」そのため他のホームズものが1960年代に出ているのに『事件簿』のみは1991年に深町真理子氏の訳で出ています。そして、阿部知二氏の場合は女性家事労働者を「女中」「小間使い」などと訳しているのに、『事件簿』は「メード」となっています。要するに、この間に「女中」という日本語が身近でなくなり、「メード」「メイド」という片仮名語の方が通りが良くなったのですね。三十年の時代を経ると、こんなところにも変化が現れます。

(連載第53回・2003.2.15)


 しばらくお休みを頂いていた「今週の一冊」ですが、当初の予定通りこのたび復活いたします。今後また一年間の予定で、メイドさんや制服と関係がある(なくても強引につけてるような・・・)書籍(の一節)をご紹介したいと思います。それでは、読者の皆様(というほど人数がいるのか・・・?)、宜しくご愛顧の程お願い申し上げます。

墨東公安委員会

第40回〜第52回(4クール目)

第27回〜第39回(3クール目)

第14回〜第26回(2クール目)

第1回〜第13回(1クール目)

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