読書妄想録
〜墨東公安委員会の電波ゆんゆんパラダイス〜


第1回
アニメ放映記念
『エマ』の車窓から〜『英国鉄道物語』他英国鉄道史関連書籍の巻

○地図なき「英國」〜メルダースさん家はどこにある?

 『エマ』で鉄道と言えば、2巻の終わりから3巻にかけての、エマの帰郷と車中での出会い、そしてメルダース家への就職という展開に登場しています。その中でもロンドンのキングズ・クロス駅(キングス・クロス駅)のシーンは、既に「墨耽キ譚」第2回で触れたとおり、実に素晴らしいものですね。

 ところが発車後が・・・いや、蒸気機関車の形態だとかいったマニアックなことじゃありません(注5)。エマはキングズ・クロス駅を旅立ちました。この駅から北へ伸びる路線はグレイト・ノーザン鉄道といいます。そんなこと知ってる、と『エマ』読者の皆様は思うでしょう。3巻135ページに書いてある、「ロンドンよりグレイト・ノーザン鉄道を北上すること226マイル」と。地図までちゃんと載ってるし(図1)。

 しかし、実はこの地図が問題なのです。何となれば、地図で太く描かれている路線はグレイト・ノーザン鉄道ではありません。ミッドランド鉄道という会社の路線に近いのですが、全線そうでもないのです。ミッドランド鉄道の本線はベッドフォード Bedford を経由していますが、135ページの地図(以後『エマ』地図と略称)の経路は、途中までがロンドン&ノース・ウェスタン鉄道で(ただし、この頃の同鉄道の本線はノーザンプトンを経由するようです)、ラグビー Rugby からミッドランド鉄道の支線へと分岐し、レスター Leicester からミッドランド鉄道の本線に合流するという経路になっています。リーズ Leeds まではミッドランド鉄道を辿っていますが、同鉄道はそこからカーライル Carlisle へと北西に向かうので、ヨーク York へ行くにはノース・イースタン鉄道を利用します。大変稚拙なものですが、略図を描いてみたのでご参照下さい(図2)。関係する路線のみを大雑把に記載してあります。会社別の色分けは各社の機関車の色をイメージしてみたり。

図1図2

(森薫『エマ』3巻 エンターブレイン P.135)

 要するに、『エマ』地図には、実はグレイト・ノーザン鉄道(以下GNRと略す)は全く描かれていないのです。GNRがロンドンにターミナルであるキングズ・クロス駅を設け、ドンカスターまで本線を開通したのは1852年でした。つまり『エマ』地図はそれ以前の、『エマ』の時代のざっと四十年は昔の地図ということになってしまいます。

 と、矛盾点をあげつらうだけでは芸がないので、もうちょっと考えてみましょう。ヴィクトリア朝のことをあれだけ丹念に調査し、駅も見事に描いていた森薫氏が、なぜこんないい加減な地図を描いたのでしょうか?

 そこで『エマ ヴィクトリアンガイド』巻末の参考文献一覧を調べると、鉄道関係の本はどうやら小池滋『英国鉄道物語』と翻訳書の『三省堂図解ライブラリー 19世紀の鉄道駅』の二点らしいということが分かります。あのキングズ・クロス駅の描写は後者を参考にしたのでしょうが(実は、筆者はこの本を見たことがありません)、鉄道地図のネタ本になりそうなのは、前者の『英国鉄道物語』と見て良さそうです。森薫氏の興味関心の方向からすれば、鉄道に関するリサーチにそんなに手間はかけないでしょうし。

 この『英国鉄道物語』は、著名な英文学者にして希代の鉄道趣味者・小池滋氏の名著で、鉄道を通じた英国文学・文化史と言える幅広い内容を持っています。筆者も以前やっていた企画「今週の一冊」で紹介したいと思いつつ、直接メイド関連の話があるわけでもなし、どうやって料理したものかと考えているうちにお蔵入りになってしまいました。四半世紀も前に初版が出た本でありながら今日でも店頭に並んでいるというのが、本書の質の高さを物語っているといえましょう(でも実は後継者がいないということかも・・・)。

 『英国鉄道物語』には数葉の地図が収められていますが、ロンドン近郊に関しては折込の詳細な地図があるものの、イギリス全土の鉄道地図はあまり詳しいものがありません。その中で一番詳しい全国地図は55ページの1849年当時のものですが(図3)、この図ではGNRは点線で表記され、印刷が細かくて読みにくい活字をよーく見ると、Under construction(建設中)と書いてあります。ついでにこの当時、ミッドランド鉄道はまだロンドンまで路線を持っておらず(同鉄道がロンドンまで延長してターミナルのセント・パンクラス駅を設けたのは1868年)、ロンドン&ノース・ウェスタン鉄道の本線はノーザンプトンを経由せずその南を通過していたようなので、ますます『エマ』地図との共通点が揃ってきます。(追記:先日出たばかりの『エマ』5巻118ページにも地図がありますが、そこに引かれている鉄道らしき線もやはり1840年代ごろのままです)

図3

画像クリックで拡大図
(小池滋『英国鉄道物語』晶文社 P.55)

 ただ、1840年代は猛烈な鉄道投資ブームが英国で沸き起こった結果、とんでもないペースで新線が開業しており、1849年の線路網はすでにかなり稠密です。『英国鉄道物語』55ページの地図にも、相当発達したネットワークが記載されており、『エマ』地図より遥かに細かくなっています。単純な地図の話ならば、湯沢威『イギリス鉄道経営史』(日本経済評論社)という経営史の学術書の105ページに載っている、「1846年のイギリス鉄道網」という地図の方がもっと似ています。この本は19世紀の英国鉄道経営史に的を絞っており、ヴィクトリア時代の鉄道のことがいろいろと分かる本なので(貴族様が狐狩りする場所に線路を通すのを嫌って鉄道計画に反対したことがあった、とか。この話はヴィクトリア朝のちょっと前の話ですが)、個人的には面白く勉強になりましたが、普通の人がいきなり読むには難しいところもあって、本の性格からも森薫氏のリサーチに引っかかった可能性は多分低いだろうと思われます。

 筆者は邦文の英国鉄道史文献で単行本化されたものをだいぶ買い集めて目を通しましたが、その点数は余り多くなく(海外鉄道旅行の旅行記は結構ありますが)、19世紀末ごろから20世紀初頭の英国鉄道最盛期(1927年ごろから路線は減少に向かうそうです)の路線図を調べるのは案外面倒でした。だから一概に『エマ』の間違いばかりあげつらっても不公平で、日本語で英国鉄道史の概要を書いた便利な本がないことがそもそもの原因であると考えます(実はイギリス以外の国のも乏しいのです)。それは売れないからなのでしょうが、先ほどちょっと書いたように『英国鉄道物語』を継ぐ存在が出ないことからしても、日本の鉄道趣味者(=制服マニア兼業者が少なくない)が海外の鉄道に関心を示さない、それが日本の鉄道のお手本となったはずの19世紀英国であっても(小池滋氏の本の主な読者層は英文学好きといった人たちであって、いわゆる鉄道趣味者は少ないということは、残念ながら事実です)、なぜそんなにみんな国粋的なのか、というのは不思議なことですが、メイドさんとは直接関係がないのでこれ以上は省略。

 以上のような事情は確かにあるのですが、それを差し引いても、どうも森薫氏は、お屋敷の内装のような内的空間や、都市の景観には関心があっても、地理的な事柄には関心が薄いようです。というのも、『エマ ヴィクトリアンガイド』はとてもよく出来た本です(特に「プロフェッション」や「福音主義」といったことにまで触れているのは感動もの)が、しかし一つ不思議なことがあり、あの本にはロンドンの地図はあるのに、イギリス諸島の地図もなければ、大英帝国の版図を示す図もありません。ちなみに当時の世界地図では、イギリスの支配地を赤く塗るのが慣例だったらしく(軍服の色にちなむらしい)、「赤い帝国」はイギリスだったんですな。大陸を横断する電信線で、英国領のみ通る線を All Red Line と言ったそうです。

 それはともかく、地図を広げてその中での自らの位置を相対的に判断するようなことに重きをおかず、室内の過剰なまでの装飾品の描写に耽溺してゆく、その姿はピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』に描かれるヴィクトリア朝人の姿、自分に優しくない外の世界から身を守ってくれる室内に数多の品物を詰め込んで、家庭の中に引き篭もる姿を連想させます。『エマ』における、インドという外の世界からやって来たハキムのぶっ飛び具合も、いわば地図のなさが反映しているのではないでしょうか(アニメ化・ノベライズどちらもハキムがキーのキャラだそうですが(注6)、それはいわばハキムが、そしてインドが、読者の想像を受け入れるブラックボックスの一つであるからでしょう)。念のために注記しておきますが、別に批判してるんじゃないんですよ。ヴィクトリア朝を描いた作品が今日これほどの支持を受けていることから考えれば、ヴィクトリア朝の中には今日のオタク文化に受け入れられるような価値観というか芸術的手法があったはずで、ヴィクトリア朝に耽溺して『エマ』を生み出した森薫氏はそれをよく身につけているだろう、そういうことです。このことはコンラッドをメインテキストにして、別な機会に論じてみたいと思っています。

 話を『エマ』に戻しましょう。メルダース家のお屋敷があるというハワース Haworth は『ジェイン・エア』『嵐が丘』のブロンテ姉妹に由来する地名でしょう。ただし、ブロンテ姉妹ゆかりのハワースの正確な位置はリーズの西方、ヨークから見れば西南西くらいなので(ちなみにハワース駅はミッドランド鉄道の支線にあります。ただし、すぐ東をGNRの支線が通っていたので、GNRでも行けそうです)、『エマ』地図に示された、メルダース家のある森薫世界のハワースは、イメージを踏まえつつも別な場所のようです。鉄道路線では、ヨークから西北西方向に延びたノースイースタン鉄道の支線があり、長さもちょうど『エマ』地図と同じくらいに見えます。ヨークシャー州はえらく広いので、ここまで来てもまだヨークシャー州です。というわけで、この支線の終点、パテレイ・ブリッジ Pateley Bridge(読み方は適当。識者のご教示を乞う)あたりをメルダース家のある場所に比定することにしましょう。ここまで行って、エマのコスプレで写真取った人がいたら神認定。

 ちなみに有名なブラッドショーの時刻表(ただし入手できたのは1910年版)で計算すると、ロンドンのキングズ・クロスからヨークを経由して、GNR及びノースイースタン鉄道でパテレイ・ブリッジまでのマイル数は222マイル半になり、135ページの記述に近いというのもいい感じです。

注5http://www.nrm.org.uk/html/coll_pb/ST_stir.asp(英国の国立鉄道博物館のサイト)
http://www.clanstirling.org/Main/lib/photos/StirlingSingleTrain-Design.html
ここに出ている機関車がGNRの旅客牽引機。

注6:久美沙織『小説エマ1』エンターブレイン の村上リコ氏の解説(P.331)。

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