墨耽キ譚
〜森薫『エマ』『シャーリー』を巡る対談〜


第2回
『エマ』第2巻について

(承前)
墨:じゃ、まあ、2巻に話を移しますか。・・・この表紙もなかなか、この市場の雑然ぽさが、なかなかいいと思いますけど、ま、お話の方も。・・・これは、あの、クリスタル・パレスか。
耽:閉じ込められる話だね。描きたかったんだねえ(笑)
墨:クリスタル・パレス描きたかったんだねえ(笑)すごい、ものすごい。・・・30、31ページ辺りの、夜のクリスタル・パレスとか・・・
耽:こういうところで黒枠もってくるというのがちょっと面白いよね。普通だとこう、回想シーンみたいなものとか、或いは逆に残虐なシーンであったりとか、そういう時にやるもので、普通に夜であるから枠を黒くしているというのは。
墨:そういえば、意外とそういう使い方ないですね。
耽:うん、実は珍しいんじゃないかな。
墨:・・・眼鏡の使い方とかもあれなんですが、非常に、いいですね。
耽:この辺のやっぱ挙措は上手いんだよね。こう、目が疲れたからといってこう素顔になったところで手を取って…これは36-37ページか。
墨:の、見開きの。これも本当に・・・
耽:上手いよね。こういうところは流石だと思うんだけど・・・
墨:けど?
耽:でもだからといって、これは恋愛漫画としては読めないというのはさっきから言ってる通りであって。
墨:そうですね。それは、苦しい。でも、これが恋愛漫画として読めないからといって、全然別にそれは、何も問題はない・・・
耽:うん、それはいいんだけどね。全く問題ないんだけど、ああいう売り方をされると、ちょっとなあって、思わなくもないという。
墨:でもあの(アニメの)『英國戀物語』て付けたのは、御本人というのが。ちょっとそれは正直なところ、びっくりですね。まあアニメの場合は、演出をがらりと変えるというのも、ありえないことではないですね。
  
耽:この辺りでこう、50ページ、9話か、そろそろ家族も出して誤魔化し、というとあれだけど(笑)
墨:誤魔化しっていうのは何ですか、誤魔化しってのは(笑)
耽:いや、段々こう、キャラも増やして引き伸ばしに入ってきたというかな。まあそろそろ、家庭内のことも描きたくなったんだねえ、ていう。分かりやすいね。
墨:ただやっぱ、家庭内のこと描かないと、使用人とかの出番も少なく。結局でも、ウィリアムの家ではあまり描かないのか、そういうことは。
耽:うん、メイドを描く時は、基本的にやっぱエマ視点になって、エマの周りのものとして描いているから、其処此処には出てくるけど、そんなにこう、このジョーンズ家では描かれてないんだよね。
墨:60ページ辺りのこの、親子の対話の辺りはどうですか。これは割と台詞を中心にして、いる・・・
耽:うん、これはわざとでしょう。
墨:わざとですか。
耽:ええと、だからここは、むしろ読者にとって不快感を与えるところなんだから、こう殊更に想像を逞しくされると問題なわけで、逆に不快なものは不快なものとしてバーンとこう、解釈の余地がないくらい提示しておいた方が、結果的に読者に優しいはずなんですよ。
墨:なるほど。
耽:だからこれはわざとで、割と父親はこういう風に台詞が多いでしょう。この辺もやっぱ上手い、バランスの取り方がいいんだよね。
墨:で、64-65ページの見開きは、逆に一言もなしで、進めていくと。
耽:・・・上手いですねえ、演出がね。・・・この、こういうところ上手いよね。
墨:67ページのSequel の真ん中の二コマとか。
耽:二コマ重ねて、「・・・年取るはずだわ」・・・この「おやすみ エマ」も意味深なんだよね。この次の朝じゃないかっていう風に思わせるでしょう。・・・で、この・・・
墨:第10話ですね、・・・上手いですね。
耽:空の部屋と、回想シーンと、で次が喪服・・・
墨:喪服じゃないんじゃない?
耽:あ、喪服ではないな、エプロンをしてないだけか、でこう、ひたすらに磨き上げて・・・このおっさんがいい味出してるよね。
墨:てか、森薫作品はおっさんの魅力の方が、メイドさんよりも魅力があるような気が時々してくる・・・これはおっさんの魅力といってもさ、キャラクターが立ってるわけじゃないですよね、台詞回しとそれから・・・
耽:んーとね、だから人物の持ってき方が上手い、働かせ方が上手いというのかな。配置の仕方というか。
墨:人物というコマを、ボード上で上手く動かしてるという感じですかね。
耽:でもそれだとコマに色があるみたいな感じだけれども、何か、舞台装置としての人というのかな。
墨:ああ、なるほどね。
耽:もっと、とある目的を持って出してる感じがする。その描き方がやっぱり上手いよね。
墨:先にコマがあるんじゃなくて、舞台に合わせてコマを作るんだからね。
耽:そうそうそう。
墨:この、いろんなランプを並べたあたりが、結構いいなあと思うんですけど、81ページ辺りの。こういうヴィクトリアもの的な小物への愛が、こう、魅力となっているんじゃないでしょうか。
耽:ほら、「服・・・もう着なくてもいいんじゃねえのか?」「・・・つい習慣で・・・」「まあ長かったしな」って、こういう・・・
墨:80ページのですね。
耽:80ページの、台詞回しなんか、うまいんだよね。こういう所でケリーさんとエマのこう、長い生活とかを思わせてさ。すべてが最後の喪失感にこう、向かっていくというあたりが。掃除中にポカーンと座り込んだり・・・水音にこう引き連れて、下に行って暖炉に火をつけて、・・・なんてこう、萩原朔太郎じゃないですか。
墨:(笑)そこで萩原朔太郎が出てくるところがまたアレだと思うけど。
耽:ええ、「内部への月影」、ほら、「洋燈を消せよ 洋燈を消せよ」ですよ。「手もて風琴の鍵盤に触れるはたれですか」・・・入ってると思うけどな、これ。(注1)
墨:見てて詩が浮かぶ、って漫画は、ほんとにこう、すごいですよね。
耽:だからさ、こう、地の文でも、エマのモノローグが、冒頭3ページにちょっとだけ入って、で、あと最後のページ、92ページの最後のコマになって、「自分が独りになったのだとわかったのです」、この暖炉の火で、ねえ・・・こういう、この間の取り方とか描き方とか、上手いねえ・・・
墨:台詞が一つもなくても、決して読み飛ばされることがないような感じですよね。
耽:そうそう。さっきの話を何度も繰り返すけど、こう、台詞がないからこそ、各人が各人にとって座りのよい、この、悲しみの感情というか何というか、を想像させてくれるわけで、全く押し付けがましくない。すごく舞台装置として秀逸なんだよね。
  
墨:ケリーさんが亡くなられて、次に行きますか。
耽:これあの、このお二人の。
墨:エレノアさんですね。
耽:再会シーンですか。
墨:今度は逆にこう、単行本で見ると、前回のエマのケリーさんへの喪失感とは逆の、賑々しさというか。100ページの一枚絵なんか、本当にこう、愉しんで描いたんだろうな、という・・・気がしますね。ただまあ、それは単行本で見ないと分からないんだけど。
耽:この辺のエレノアの造形は僕は上手いと思うんだけどね。割と台詞で説明させてるけど、こう、イノセントな、幼稚でかつ少女らしい驕慢さとかが、割と出せているなあ、と。それでいて全く嫌味になってないし・・・私はエマよりか、さっきから言ってるさ、その想像力がないオタクからすると、逆にこういうキャラの方がファンが多そうな気がするんだけどね。すごくなんか、いい、いい味出してると思うよ。まあでも、普通にエマに肩入れする人からすると、何だこいつはという風になるのかなあ。
墨:何だこいつはというよりは、ウィリアムのナヨナヨ性に、こう怒りを燃やすというのが・・・
耽:いやでも、読者はほら、ウィリアムに仮託してますから、こう、己は傷つけないんですよ。
墨:えー、でも女性読者は多いですよ。・・・意外とウィリアムに仮託する人少ないんじゃないですかねえ。
耽:そうするとでも、・・・仮託して読まないのかな、この作品は。
墨:そうそう、我々の今までの議論からいってもこれは、仮託して読むという性格はあまり濃くないんじゃないかな。
耽:そうかも知れないね。
墨:あとまあ、この回は使用人もたくさん登場しておりまして、その辺の対比のされ方も・・・
耽:ここもね、会話シーンのバックでこう、グラスを洗ってるとかさ、給仕の様子とかを写してるあたりが、やっぱり上手いんだよね。・・・二人の会話シーンだと、普通二人しか描かないのが普通なのに、こう、敢えてその二人を殊更に描かずに、済ませようとしてるとか。もっとも、カット回しが変わることによって、読者の飽きもなくなるということもあるけど、それ以上に上手い・・・あとこの、106ページのエピソードとかさ、さらにさ、こういう返しをエレノアにさせる辺りが上手いんだよね。「私はまだ一回も失敗したことありませんのよ」。そして「偉いですね」・・・
墨:このウィリアムの表情は確かになかなか・・・。読みにくいですけど。
耽:馬鹿にしている訳でもないんだけども、こう・・・
墨:そう、でも微妙さが結構、読者に感じ取れるのはいいですな。
耽:ま、ちょっと伝統の話になってからは、語らせすぎかなと。
墨:107-108ページですね。・・・ただこれによってその、エレノアがかえってウィリアムにくっつくように演出されてますよね。・・・そこんところが、考えてみると、今まで出てきた中で、エマとウィリアム、エマとハキム、と比べると、一番説得的に両者の恋愛感情に至る過程が描かれているような気がするんですが、どうでしょうね。・・・それが果たして、いいのか悪いのか。
耽:僕はさ、この一連のさ、115ページあたりのエレノアの台詞回し、やっぱ恋愛譚ではこういうのを描いて欲しいんだよね。滲み出てるじゃないですか、露骨にこう、ただ単に好きだとか言うんじゃなくて、一緒に遊びましょうとか、何とかなさるのかしらっていう、こういう間接的だけれども結果的にすごく上手く好意が出せているあたりとかね。この、最後の「また」とか・・・
墨:116ページのですね。・・・いいですね。この11話の最後の・・・118ページ、ここは濃密な感じ・・・濃密に描き込んでも濃密に面白く、淡々と描き込んでも淡々と面白い、いい対照になってますね。・・・Sequel が面白いですね。
耽:(笑)「今日はないんですか」・・・
墨:このチョイ役メイドさんとか。コルセットとかも描いてるし、いいですね。
  
墨:ぼちぼち次行きますか、で、このすれ違いなんですが、これはどうでしょうね。
耽:てか、いきなり「さよならエマ」って、なんじゃそりゃ、となって・・・僕はこの辺はこう、何かちょっと、悪しき習慣が出てきたなあと。
墨:悪しき習慣っていいますと?
耽:この、ドラマの形というか、引っ張り過ぎというか。3話もかけて描くことじゃないでしょう、っていう風に思ったけどなあ。
墨:確かに・・・ただちょっと分かりにくいですよね、話がね。
耽:まあ、作りこみ過ぎたんだろうけどねえ。・・・まあコリンがいい味出してるんだけどさ(笑)
墨:そうか?(笑)
耽:いや、其処此処で出してますよ、うん。
墨:・・・ハキムとエマのやり取りってのは、どう・・・
耽:んー、ちょっとだから、分かり易過ぎるかな、っていう。
墨:そうかなあ、階級でいけば、カースト制度があるだろあんたの国は、って何か思っちゃうけど・・・まあ、この話は、やっぱあれですか、この、ヴィヴィアンたんがこう、手摺を滑り降りるところでとりあえず、いいんですか。
耽:136ページですね(笑)。でも、ここででも、ヴィヴィアンにねえ、こういう・・・いわゆる世間的なものを代表させる意味は本当は無かったんだろうけどね。でもまあここは・・・
墨:ここは136ページの「シャー」でもう。
耽:走らせたかったんでしょう。
墨:この回はこのコマに尽きるということで。
耽:あとまあ、このコマも多分結構好きだったと思う。137ページの、二人の頭の間に、
墨:ヴィヴィアンが突撃してくるやつですね。うん、この時の、確かにこのスカートの、勢いといいますか、風をはらんでいるようなですね、しかもこう、さりげなくペティコートが見えている、この辺がですね、素晴らしい。・・・そんなことに注目していると、なんか、階級だとかそういう問題がどっかに飛んでいってしまうのは、まあ如何ともし難いところなんだが。
耽:(笑)・・・まあね、「住んでる世界が全然違います」っていう台詞の背景に、オーナメントにあふれた天井を描くあたりとか、悪くはないんだけどね。
墨:まあこの回は、3回で長いから、次行きますか。
耽:3回で長いし、面白い回ではないんだよね。
墨:次のこの第13話に関しても、どうでしょうねえ・・・
耽:なんかウィリアムがこう、家であんなに揉めてるという話よりは、エマの何というか、ステロタイプすぎる過去の方が、うん。
墨:拉致問題ですね。・・・今の御時世、こういうネタは危険ですか。
耽:いやいや、それくらいは・・・「最近じゃ小せえ方が客が喜ぶって言うじゃねえか」っていう。
墨:1885年にその、16歳以下の売春が禁止されるはずですんで、年代的にはまだ合法だったころなんでしょうかね。だってエマの生年って多分、あれでしょう、70年くらいでしょう、千八百・・・だから多分、1877、8年?
耽:ストリートチルドレンになって、賢そうな顔をしていて、ま、拾われるわけなんだな。
墨:・・・まあ、ここはさ、インターミッション的なものですか。
耽:過去も描いてみたかった、というかあれでしょ、幼い時のエマが描きたかったんでしょ。
墨:うーん、・・・まあ、そうですかね。…じゃあ、それは、この回は、我々としてはちょっとまあ、敢えてスルーして、第14回ですが、どうでしょう。・・・このハキムの、こういう風な台詞というのはだから、どうでしょうかね、170ページ、171あたりの。
耽:いやほら「牛に通りでも阻まれたか」で笑うんだけどさ。
墨:これはでも、どうかなあ。
耽:インドですから。「送ってやると言ったのに」で「パオー」・・・(笑)「それはお断りになるでしょうな」も・・・
墨:ギャグページか、ここらへんは(笑)いや、ハキムがギャグで言ってるんだとしても、本来その、階級という話で言ったらさ、カースト制度という一番やばいはずのインド人に喋らせてるところが、なんかこう、皮肉というかね。・・・ここら辺のスティーブンス、まあ多分、スティーブンスという名前はあの、『日の名残り』の主人公から来てるんだなと思うんですけどね。
耽:ここでもう一回すれ違わせてと。まあ、この174ページのハンカチをしまう辺りはなかなかかと。
墨:そうですね。で、このあと結局、すれ違いのすれ違いのすれ違い?
耽:うん、流石にやりすぎと思うんだよね。
墨:でもまあ、わたくしが思いますに、この回のクライマックスはもう、何といってももう、180ページ(笑)
耽:180ページ以降だよね。
墨:うん、見た瞬間キングズ・クロスと分かるこの、もう(笑)というわけで私はこの辺から完全にもうモードが鉄道趣味者に切り替わってしまったんですが。駅の喧噪の描き方とかですね、すごくこう、いいですよね。・・・この、何ページですか、この182-183あたりの、この描き方、駅のですね、一コマ一コマ割と細かく切って、みっちし描いて。
耽:で、ここでウィリアムがこう、飛び込んで、追いかけていって、ひたすら雑踏が描かれておきながら、こう、190ページで・・・
墨:190-191の見開きでドーンとこう・・・
耽:・・・音がなくて光だけ。うーん。・・・盛り上げは上手いんだよなあ。
墨:この素晴らしさを見ると、機関車の絵のいい加減さなんぞはどうでもよく・・・
耽:(笑)
墨:・・・とか言いながら、ここでちょっと怒りに打ち震えてみたりしてるんですが、密かに。
  
墨:・・・ああ、でも、考えてみればこれ何ですかね、2巻のこの「コルセットはお好きですか?」というあとがきマンガは、やっぱり次以降の伏線になったんでしょうかね。
耽:こう・・・「メイドの人」ですからね(笑)あと、197ページの、首に時計を引っ掛けておいたら、時間に首を絞められているという(笑)「まるで今の自分を暗喩するような嫌なオブジェになってしまい」・・・でまあまあ、次がまたこう、これは、私はここが一番気に喰わない、「革新の第3巻」ハァ? ふざけるな、「それぞれの階級(クラス)」かい?・・・そんな話じゃないだろう、クラスも時代もどうでもいいんだろう。
墨:まあまあ、時代はどうでも良くないんだけど・・・あ、でも待てよ、描きたい時代が変化したらまずいんとちゃうか?
耽:うん、そうそうそうそう。
墨:・・・相変わらずこの奥付ページはいいよね。
(以下第3巻の評論に続く)

注1
内部への月影

憂鬱のかげのしげる
この暗い家屋の内部に
ひそかにしのび入り
ひそかに壁をさぐり行き
手もて風琴の鍵盤に觸れるはたれですか。
そこに宗教のきこえて
しづかな感情は室内にあふれるやうだ。

洋燈(らんぷ)を消せよ
洋燈(らんぷ)を消せよ
暗く憂鬱な部屋の内部を
しづかな冥想のながれにみたさう。
書物をとりて棚におけ
あふれる情調の出水にうかばう。
洋燈を消せよ
洋燈を消せよ。

いま憂鬱の重たくたれた
黒いびらうどの帷幕(とばり)のかげを
さみしく音なく彷徨する
ひとつの幽(ゆか)しい幻像はなにですか。
きぬづれの音もやさしく
こよひのここにしのべる影はたれですか。
ああ内部へのさし入る月影
階段の上にもながれ ながれ。

萩原朔太郎(1886〜1942)が1923年に刊行した詩集『蝶を夢む』に収められた詩。朔太郎はそれまでにも口語自由詩の詩集『月に吠える』『青猫』を発表しており、口語自由詩の確立者と評される。


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