墨耽キ譚
〜森薫『エマ』『シャーリー』を巡る対談〜


第1回
総論及び『エマ』第1巻について

対談者紹介

墨東公安委員会(墨):鉄道趣味者であり、近代史にいくらか関心がある。小説やマンガをあまり読まないので、たんび氏をこの企画に引っ張り出す。

たんび(耽):HNの通りやおい読みだが、その他小説・音楽にも造詣が深い。墨公委とは高校以来の付き合い。氏の小説読みのスタンスについては、氏のやおい書評サイト
「Ethos」を参照されたい。
(2004.12.24.たんび邸にて)
墨:いよいよ問題の墨耽キ譚が・・・
耽:始まってしまいました。
墨:今日はクリスマスイブだというのに(笑)
耽:男二人でね(笑)
墨:(『エマ』を取り上げて)これ、一応萌えマンガに入るんでしょうか、
耽:萌えマンガ、でしょうけどねえ。しかし我々こんな日に何やってんだか。・・・これを墨東さんはどこで知ったの?
墨:それは、僕は元々の、森薫さんが県文緒さんといってた頃からなわけで。今ここに『Shirley Medison First time』と、『Mary Banks』と、『僕とネリーとある日の午後』と、のちに単行本の『シャーリー』に収められた内容の同人誌が3冊ありますが、これはコスカに初めて参加した、一般参加ですが、2000年の9月頃買ったと思うんですが、確か既にネット上で、おそらく酒井さん所(注1)あたりで既に存在は知っていたと思うんですが、そのあたり記憶が曖昧なんですけど。それでコスカで何度か買ったように思うんですが、こういうこと言うのはどうかとも思うのですが、だんだん森さんの同人誌の値段が上がっていったんですね。で、1300円になったときにこれは・・・とためらって買うのをやめちゃったと。
耽:なるほどなるほど。
墨:だからこの3冊しか持ってないんですね。まあ森薫じゃなくて県文緒で知ってると言う、そこら辺は一応古参なのかなあと。
耽:そっかそっか。僕はあれ、池袋のK-BOOKSになんかの時行って、階段の踊り場にたまたま原画が張ってあったんだよね。それを見て、ほうこんなの描くやつが居るのかと思っておって、でその後に普段使ってた名古屋の三省堂で平積みになってて、「あ、あの絵だ」と思って、売れてるとは知らずにたまたま手にとって、それで読んでみたら面白かったという。結果的に『エマ』単行本を読んだのは僕の方が早かったわけだね。
墨:では、メイド方面で話題になっていたことは全然知らなかったと。・・・『エマ』の面白いところは、メイド業界以外という言い方もなんなんですが、そういう所でも幅広い読者層を得た、特に女性が多いと思うんですが、そういう広がりがある、そんなところじゃないかと思うんですね。私は完結してから一気に読もうと思ってわざと置いてあったんですが、このたびアニメ化ということに相成りまして、これを機会に単行本を一通り読んだわけなんですが。
耽:この帯がねえ、「貴族とメイド 身分違いの恋」なんで・・・でもメイドだから買ったわけではないんだよなあ。・・・この頃はまだ社会人だったし、割とストレスを買い物で紛らわせていたこともあって、そこそこ良さげだと思ったら手を出していた時期ではあるんだよね。
墨:可処分所得も多かった訳ですしね。
耽:すごく買ってた時期ではあったし。でも原画見てたこともあったし・・・そんなに売れてるとは思わなかったけどなあ・・・
  
耽:じゃあまあ、順繰りに見ていきますかね。(『エマ』1巻を開く)
墨:順繰りにですか、一巻から・・・
耽:でも、どう。
墨:一話がある意味、我々の間で以前にも話題になったわけですが、一番の問題があるというか。
耽:(笑)
墨:その、これが全て、アルファでありオメガであると言いますか、・・・
耽:うん、でも、おでこと鼻を同時にぶつけるとは、イギリス人にしてはありえないぐらい鼻が低いなあと(笑)
墨:鼻の方がドアのへこんでいないところにぶつかってるのか。
耽:うん、だから相当俯いていたか。
墨:うーん、でもまあその辺はとりあえず置いておくとしてですね、その、これでいいのかということですね。
耽:(笑)・・・いやまあいいんでしょう、ぶつかるというまさにもう物理的な衝突というところから、こう。
墨:物理的にぶつかって、それで何の謂れもなく気が付けばそういう関係になってしまっているというのが、何と言うか、スピーディーというか。
耽:や、まあ、片っぽが惚れるだけだったら、そんなのは別にそんなのはこう、「一目惚れ」という素晴らしく便利な万能ワードがありますから、何の説明も要らないっていうねえ。
墨:ええ、要らないですねえ。・・・まあ描きたいところはそこにはないのだと解釈した方が、いいわけですよね。
耽:だからまあ、類作にも見るとおり、この人はただ描きたいことを描くために。
墨:うん、描きたいシーンがというか、コマが先にあって。
耽:そう、ネタやシーンのために、ストーリーがおまけで付いてくる。
墨:従属してる、わけだから。これ以後描きたいシーンのために、準備をしたという方が・・・
耽:やり取りや間の持たせ方はいいですね。・・・その後、二人が出会うところから最後まで一切台詞を入れないセンスとかは、なかなか。・・・でもまあ、1話でこういう出会いと、ちょっとデートと言うか、軽く歩きましょうという後で、2話ではもう付き合ってる、ていうのが・・・いいんだけどねこれはこれで。でも、「恋愛譚」といわれると・・・僕が何より思うのは、やっぱり、ここを描かないで恋愛譚ではないだろうと。
墨:だから逆に言えば、『シャーリー』とかを見ているとそういう作風でも全然構わないんですが・・・
耽:うん、そうそう。
墨:この対談の直接のきっかけになったのは『エマ』のアニメ化なわけですが、我々が前から話題にしていたのは、何でアニメのタイトルが『英國戀物語』なのかという・・・恋物語が描きたいのか、この物語の眼目ではないだろう・・・
耽:うん、冒頭から結論に至ってるようだけど(笑)、だから「恋」でも「物語」でもないだろうという(笑)
墨:だから、ああ、「英國」はいいよな。
耽:「英國」はね。
墨:「英國」はいいでしょう、それがすべてでしょう。
耽:でも、森薫の中の「英國」・・・
墨:うん、だから England でも、Britain でも、British Empire でもなくって、Commonwealth でもなくて。
耽:そうそう、United Kingdom でもなくって、
墨:なくって、「英國」(笑)。それはそれでいいのか。
  
墨:はじまりで、既にもうここで我々の言いたいことは終わってしまったような気がするんですが(笑)、かなり。
耽:(笑)
墨:『ヴィクトリア朝の宝部屋』というピーター・コンラッドの本(注2)がありますが、そこの冒頭でですね、ヘンリー・ジェイムズがジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を評した言葉だそうですが、
「細部の宝庫ではあるが、しかし、それは無頓着な全体である」
という、これはヴィクトリア朝の芸術を評した言葉なのですが、ヴィクトリア朝を描いた漫画までそうなっているところのが面白いなあと。

耽:(笑)
墨:森薫氏がそこまで踏まえたうえでこういう作風を採ったとは到底考えられないんですよね、『シャーリー』以来の流れを見ていると。もう、森さんはやりたくてそうやってるんだと思うんですが、それが結果的に、ヘンリー・ジェイムズのジョージ・エリオット評がぴたっと当てはまるというあたりがですね、非常に面白いという感じがしますね。
耽:偶然なのか必然なのか・・・(笑)
墨:僕は、これはまあ機会を改めて論じたいと思うのですが、この題材とこの語り方が一致するのは、コンラッドの論を援用すれば、かなり必然性があるだろうと思うんですね。
耽:ふうん。
墨:絵画と小説の統合、絵が小説化し小説が絵画化するということをコンラッドは語っているわけですが、漫画というのは、まさにそうじゃないかと。
耽:そうですねえ。
  
耽:まあ2話は普通になんかこう、眼鏡のエピソードとレースのハンカチだからまあいいとして。
墨:描きたいことが明白で大変宜しいというか。
耽:(笑)
墨:『エマ』の一話一話をですね、『シャーリー』もそうかもしれませんが、要約しようとするなら、「何々がどうした」という主語―述語の文じゃなくて、名詞並べた方がいいわけですよね。
耽:うん、だから断片の集合なんだよね。何ていうかこう、ストーリーとして流れているわけではなくて、プロット的にドットがポン、ポン、ポン、とあるだけで。でも、逆に言えばこの作品が受けた要素もそこにある気がしていて、あの、脳内でさ、読者が自分に都合がいい流れを作れる所はあるんだよね、想像しやすいというかさ。本格的な妄想とかではなくて、その、でも、要は自分に都合がいい流れとか・・・
墨:流れを重視した読み、間を埋めるように読むというよりも・・・
耽:うん、そこまで積極的ではない。
墨:ある素晴らしい盛り上がりのあるコマに耽溺するほうが・・・『エマ』の読者は意外と幅広いようですので、一概に括るのは難しいですね。
耽:僕の読み方では、描かれていないところは、詳細にではないけれど何となく自分で埋めているところがあるんだよね。
墨:それは、小説読みであるあなたのような、ストーリー重視の人の読み方ではないかな。おそらくその、いわゆるメイドの好きな人たちというのは、そういう読み方は必ずしも・・・
耽:まあ、してないのかな。
墨:してないかなあと思うんですよ。
耽:でも、逆にこういう僕みたいな層に受けるのは、最近の漫画ってどれも演出過剰じゃない、すごく。それこそあの最近の感動ブームみたいにこう、これでもか、これでもかーってエピソードなりなんなり詰め込んだりとか。これにはそういうのがないんだよね。ドラマを作ろうとしていない。
墨:そう、それはある。
耽:ところがかえって・・・
墨:淡白な味わいが豊饒に広がってくるというか、喉越しが良いというか(笑)
耽:そうそう、で文字読みはさっきも言った通り、文字から想像して読むという点ではこう、想像力が強いから、そこも刺激してくれるというか、その余地があるというか。その、お腹一杯にならないんだよね、読んでいて。
墨:それはやはり、森さんがイギリスに耽溺して、溜め込んできたものが、そういった余韻を作っているのかな。或いはまあ、情報に限らないでしょうが、・・・その辺からたんびさんの好きな内田百閧たりに話が持っていけるといいんですが。
耽:うん、だよね、だから森薫さんは百閧ェ好きだとサイトにも書いている通りで。(注3)で、百閧ヘエッセイストとして見ると、相当偏屈、まず偏屈なじじいであるし、論じ方が無茶苦茶であるし、あと、すごく文章に細やかで気を使う人だから、書くことと書かないことの差がものすごくて、そこが独特のテンポを出して面白さがあるという。こういう、気が付くと引き込んでくるという点においては、すごく似てるんだよね。百閧ヘ長編碌に書かないし、まあ書いても結局断片の積み重ねでちょっとなんだかというか(笑)、あの人もやはりストーリーテラーではない、というのはあって。僕はこの一巻が出た後で彼女のサイトに行ってみて、それで百閧ェ好きというだのを見て、もうハタと膝を打って、ああなるほどこれは百闢Iだと。はじめは結びつかなかったけどね、まさか百闢ヌんでるとは思わなかったから。
墨:でも読んでいると言われれば、非常に納得はする。
耽:うん、納得が行く。すごくそういうところは合ってるなあと。・・・ま、話は飛ぶけど、ほら『シャーリー』に出てくる「メアリ・バンクス」の爺さんの偏屈っぷりとかさ。
墨:偏屈爺さんでしたね(笑)
耽:これは百闢ってるなあ(笑)とか思っちゃったりしたけど、まあ・・・
墨:それは・・・やはり断片の、パーツの魅力なんですかね。
耽:だからこう、好きなエピソードなり描きたいパーツなりをうまく盛り込みつつ、それをいわゆるストーリー的なものの大枠から外さずに組み上げられている、組み上げるというと語弊があるか。まあなんていうのかな、さっき言ったようにそこまでストーリーが強いわけじゃないけれども、一定のこう『エマ』という話の中にはちゃんと収めているあたりがね、面白いのかな・・・こんだけやりたい放題やってて、よく話が成り立ってるなあ、ていうふうに(笑)
墨:逆に言えば、その分、ストーリーが最初から割りを食うように、濃さが薄めに設定されている、ていうのでしょうかね。
耽:うーん、まあ・・・
墨:人物造形とかも、細部を生かすために人物が造形されているわけですから、・・・人物の造形的な魅力とか、そういうのは、ある程度、まあ犠牲にされているというと言い過ぎですけど、ある程度控えめにされてるんじゃないかなという感じはするんですけど、どうでしょう。
耽:そうですね。
墨:わたくしはだから、読んでいてもその、あまりこう、その、キャラクターが印象に残るということは、正直あまりないように思うんですけど。
  
耽:この3話でさ、ハキムの目から見た像として、初めてエマの細やかな描写がされるという、この描き方とか結構・・・。でまあ、こいつもまた一目惚れしてるんだけどね。
墨:ハキムの視点に立って見た時のエマの、何ですかね、首の辺りのラインとか、もう、もう、もう、素晴らしい(笑)
耽:いやもう、項が描きたかったんだねえ、という(笑)
墨:ほんとこういう所、素晴らしいですよね。ただ、だからといって、例えばエマが、キャラクターとして、一つの人格として印象に残るというわけでも正直ないし、それはハキムについてもそうじゃないかな、という気はするんですけれども。
耽:割とこう、機能的というか、役割の方が強いんだよね、人格よりも。
墨:逆にキャラクターとして個性が(印象に)残るのは、むしろその・・・
耽:脇の方。
墨:脇の方で、で、なぜ脇の方が残っちゃうのか、例えばケリーさんとか、残っちゃうのかを考えると、皮肉にも彼ら彼女たちの出番は余りないから、ある特異なシーンで出てきた時の印象が強くて、それに囚われてしまうために、かえってキャラクターのイメージが強くなるんじゃないかと。エマやウィリアムは割りと出ずっぱりなんで、(印象が)均されてしまうのかな、と思うんですけどね。
耽:うん、だから、キャラが描きたい訳じゃないからこそ、キャラクター設定が最低限に留まって色が弱まるわけで、それはある面においてネタを際立たせるためにも機能している。逆に言うと、読者側からすると自分の好みの方にそのキャラを引き寄せられる余地が強いことになる、つまり都合よく読めるんだよね。全般にこう、色が薄い、キャラにしろストーリーにしろ色が薄いけれども、まあ逆に、さっき言ったカッコつきの「英國」という大枠はあるし、キャラクターも絵自体はそんなに混同するわけでもないし、間とかもあるから結果的に読める、読んで楽しめる。遊ぶ余地が多いっていうのかな。
墨:たんびさんがそういう意味で高く評価するというのが私はかなり面白いと思うのは、今までこう、幾つかの作品の評価とかを見ると、あなたが書かれたものを見ると、割とキャラクターの整合性を重視しておられるような気がするんですよね。そういう人も、こういう読み方を許容できる魅力がこの作品にあるというのが、なかなかいいなあと思うんですけど。
耽:あの、だから昨今のゲームなりアニメなり見てるとさ、無茶なキャラの立て方をしてるんだよね。なんかその、受け手にこう、想像力の余地を失わせてるキャラクターが多いなあと。好きな食べ物から、口調からすべて極端に特化されてしまってさ、もうそういうものとして以外には、想像が出来ないというか。逆に、各人にとって理想はさまざまなわけで、ディティールを書き込めば書き込むほど、ストライクゾーンは狭まってくるはず、なのに、なぜ殊更にそう狭めようとしているのかが、まず納得が行かないし。だからそれは受け手の方に想像力がないんだろうなあと、そこまで書き込まないと逆に駄目なのかなという気もするし。でも、そもそも作りこみ方が僕にとっては過剰で厭らしい。
墨:過剰で厭らしくて、もうたくさん、ということですか。
耽:うん、そうそう。
墨:そういうふうなことを昨今のサブカルチャーに対して抱く人が『エマ』を読んで受容するのは分かるんですが、そういった昨今のサブカルチャー文脈に馴染んでいる人もまた『エマ』を受け入れているんじゃないかという節があるんですよね。
耽:そうなんだよね。
墨:で、勿論それだけの幅広い人に許容されているからこそ、話題にもなっているし、アニメにもなるんでしょうが。
耽:うん、そういう人たちはこれを・・・
墨:どう読んでいるのか・・・。となると、やはりこの断片の魅力、シチュエーション的なフェティシズムという風に解釈するのはどうですか。
耽:どうかなあ・・・、それはさ、他のメディアとかが醸成してきている「メイド観」を、そのまま投影してるんじゃないの、と僕は思っているんだけど。いわゆる、エロゲーなり何なり。
墨:いや、それと違うからむしろ受けてるんじゃないの、だってこれは「フレンチメイド死ね」みたいな人たちがみんな礼賛する漫画だという風に思ってたんだけど。
耽:ああ、でもそういうところは・・・
墨:だから、主従関係ってのが、実はこれ、余り出てこないじゃないじゃないですか。
耽:うん、出てこない。
墨:日本出版社の『メイド本』ってムックがあるじゃないですか、あれに『エマ』の編集者の方へのインタビュー記事がありますが、その中で森薫さんは主従関係みたいなのに関心があるとあるんですけど、正直なところ『エマ』を読んでも、それほど主従関係にこだわりがあるとは、僕は4巻より後のことは分かりませんが(雑誌連載を読んでいないので)、昨今のいわゆる「メイドもの」みたいな、僕は擬似家父長制だという説を持ってますけど、そういう主従関係でないのは当然としても、余りそれは感じられないんですよね。もっとこう、微細なシーンへの深い、丹念なこだわりみたいなのは感じるけども。
耽:多分ねえ、こうさっき、エマというキャラクターが弱いと言ったけど、それでもさ、こう・・・読者に都合がいい自我はあるでしょ。
墨:(笑)・・・読者に都合がいいというと?
耽:いやあ、だってこう、優しくてこう、嫋やかで、知性もあって、そのくせでも主人公を愛している訳ですよ。だから、もしかしたら逆にこう、エロゲーとかのメイドとかのように、ただ傅かせるだけではなくて、相手を人格として尊重したいけど、
墨:うんうんうん、尊重したいように見せかけて。
耽:そうそう、でもやっぱ従属させたい、っていう層。そういう微妙な層への受けがあったんじゃないかな。
墨:うん、それは非常に納得できます。
  
耽:雨漏りの話もさあ、こう、裾をからげるエマを描きたかったんだなあと(笑)、118ページのね。
墨:そうそう、これはもう、もう(笑)・・・本当に露骨ですよね。でも、このおじさんの造形とかね、おじさんとケリーさんのやり取りなんかは、ほんとにこう、いいですよね。
耽:そうね、この123ページのこう、階段のところでこけたときにこういうコマ割に、物を散らしてるのを描きつつ、ちゃんとこうドロも描きたい、ていう(笑)
墨:見せ方が上手というか。
耽:そう、ここに限らず、・・・さっきほら、演出過剰じゃないという話をしたけど、これは台詞回しとか絵の描き方でもやっぱりそうだよね、この人は。・・・ほんとにこう、台詞で説明しようとしていない。そのあたりが面白い。すごい省略してるし。
墨:それは本当に・・・
耽:例えばその、手だけとか、目だけとかですごく語らせるところは流石だし、そこは僕は文章読みとしてはすごく面白いし、評価すべきところだと思う。本当にね。
墨:今後アニメ化するという話ですが、その場合にはやはり、台詞で説明しないで如何に、それを見せるだけで表現できるかということになるでしょうね。
耽:うん、動き絵でやった方がね、本当はある意味もっとうまく表現は出来るのかもしれないけど、でも、台詞が入りそうなんだよね。
墨:台詞にしちゃうと思うんだよね、いっそのこと実写映画化しちゃった方がね、多分、いいのかもね。
耽:うん、これだけさりげない挙措で、物を語ってる漫画って、多分近年珍しいんじゃないのかな。まあ、某小林よしりんセンセイの「行間を読む」じゃないけどさ、
墨:でもあの、小林某センセイほど、行間の少ない漫画描く人もいないと思うんですけどね(笑)
耽:うん、そう、読みようがないんだけどね。
墨:本当に文字通り、コマの間に文字書いてるしね(笑)
耽:(笑)でもこれは本当にその、コマ間が読めるんだよね。で、さっきも言った通り、その読み方までも読み手によって自由な解釈が許されているから、やっぱり広く受けるんだと思うよ。ある意味こう、肝腎な所で色がボケているからこそ、磨りガラス越しに見せられているみたいなところがあって、読み手としては、その磨りガラスの向こうに、非常に自分にとって都合がいいものを想像しやすい・・・だから、本当にメディア、媒体だよね、この漫画はね。
墨:ん、何をどうする媒体って?
耽:この向こうに何か見てるんだと思う、読者は。
墨:うん、その読者が、つまり色んなものを見られるからこそ色んな層に受けるわけであって、
耽:そうそう、だから十何万部とか売れていて、そこにまあ十何万通りの読みがあるのは当たり前だけど・・・
墨:そういう読みが出来るということは、その作品の大変な懐の広さということを表しているんですね。
耽:でもあるけれど、それがだから、例えばメイドブームだから『エマ』が十数万部売れているというわけでは決してなくて。
墨:婦人雑誌、いやファッション雑誌みたいなのにも『エマ』が取り上げられてたという情報がありまして、おそらくガーデニングなり、あの、要するに「癒し系」の中のものとして末期ヴィクトリア朝的なものが、まあアンティーク趣味ですよね、その一環として繋がってくるんじゃないかと思うんですが、このヴィクトリア朝という絵が豊かなので、色んなものに繋げることが出来ると。それであの、メイドエロゲーオタクから、アンティークなんかが好きな女性、おそらくはオタクより年齢が高めな女性層あたりまで、フォローできるのかなあと思うんですよね。
  
耽:で、貸本屋の話ですね。
墨:これもまあ、本当に描きたかったんだなあというか。
耽:うん、ていうかあれでしょ、むしろこの、こういう女性の絵が描きたかったんでしょ、この人は。
墨:ああ、150ページのこの、こういうイラストですか。・・・そうですね、あの、コルセットは、あのほんとに、この漫画は時々、確かにこの、腰のラインでなかなか、はっというのはあるわけで、
耽:(笑)
墨:もう4巻になるともうやりたい放題で、コルセット締めまくりでもう、という感じですけどね。・・・『コルセットの文化史』という本が最近出たんですけどね、あれ絶対、表紙をね、彼女に描かしたら面白かったかなあと思うんですけどね。
耽:(笑)なかなか、そうするとちょっと。
墨:あの本も10万部売れたはずなのに、惜しいことをした(笑)
耽:それは本の著者にとって望ましいことではないんでしょう。・・・まあいいや、楽譜が間違ってるよ、とかいうツッコミはさて置き、
墨:ええ、そういうツッコミはさて置き・・・ん、舞踏会ですね、これなんかほんとに、この舞踏会のシーンなんか、この1ページ大のシーンですね、162ページの扉絵とか、細々と描かれた舞踏会の絵、ほんとにこう・・・いいですよねえ。・・・褒める方が言葉が難しいなあ(笑)
耽:(笑)この、エレノアだけど、この登場だとそんなに引っ張るとは思わなかったんだけどなあ・・・あとちょっと先の・・・179ページのね(笑)この、「シャー」「シャー」「グエコ」(笑)
墨:(笑)これはもう。
耽:こういうところはね、流石なんだよね。
墨:しかもこういうお遊びを、入れ方が、入れ具合もいいですよね。
耽:うん、だから、内輪受けとか、過剰にならずに。
墨:そうそう、過剰にならずに。今だと過剰になり過ぎちゃって、それだけで持ってるような作品も少なくないんじゃないかと思うんですけども。
耽:これは内輪受けになってないんだよね。もちろんさ、後でも出てくるあと書きとかで、自分のことを随分とこう戯画化してたりするけどさ、そういうふうにこう、何ていうかな、ちゃんとエンターテイメントしようとしてる辺り、そこは評価してるんだけどな。なんか今回割りと褒めっぱなしだな(笑)・・・あ、このスコーンを落としたりとかね、183ページ・・・うまいよね。後姿で描いていて、顔も全く動じていないのに、スコーンは落ちていて、次のコマではちゃんと汗を流している、という。
墨:物を通じて表に出るという描き方がね。
耽:しかもそこにこう、ちゃんと父の台詞をかぶせたりとかして。・・・で、1巻の Sequel は割と普通だったけど、最後のこう、「お嬢様あぐらはお止めなさいませ」が、185ページ、このあたりから割りと面白くなってくるかな。
墨:単純にストーリーの面白さの点だけから言えば、本編よりSequel の方が面白くて、一番面白いのはあと書きだという説もあるわけですが。あと書きのこれが、計算したギャグ漫画を描いているわけですよね、おそらく
耽:そう、それが上手いよな・・・
墨:だからこそ、編集の付けたであろうこれ(あと書きマンガと奥付の間にある、続巻予告ページ)が余計であろうという気もするんですけどね。
耽:ん? ああ、・・・まあ何かやりたかったんでしょう。激動のどうこう・・・これも、醒めるよね。折角奥付はすごくいいのにさ。
墨:そうそう、奥付の頁に絵を入れているってのは、他に何かありますかね、漫画だと。
耽:あんまり思いつかない。
墨:しかもこれは本来カラーの・・・ああ、カバーの絵か。
耽:ああ、カバー絵のこの辺なのか。
墨:カバー絵の縮小率低めで載っけてるんだと思うんですけど、こう、締めがね、すごくいい感じになってるというのに、編集のつけた前のページがちょっと余計かな、という気がするんですけど。
耽:まあ、オタクの匂いがするなあ、という感じが。
墨:まあ、エンターブレインだから・・・
  
耽:で、1巻はでも、結局やっぱりこう、繰り返しになるけど、ネタ集だよね。それでいいんだけど。
墨:それは結局、最後に至るまでそうなっちゃうんじゃないんですか、我々の評としては。
耽:だから、こう、ネタを壊さないために、ネタを描くために、まあ、
墨:話を作るという。
耽:そう。
墨:(ネタを)包むように、人物とかもそうなっている、ただ、それがある種その、19世紀イギリスの、忠実な描写になっているという。
耽:それがさっき言ったね、こう、作り込まれた細部と無頓着な全体という・・・
墨:たんびさんのその評価を聞いて、谷崎潤一郎の永井荷風への書評を思い出してしまったんですが。・・・つまり、人物の内面描写がなくても、ない方が東洋の伝統である、という風に、これを東洋・西洋と分けるのが果たして妥当か、というのは今日議論の余地があるけれども、仮にそれを置いておいても、そういう風な物語の描き方、「純客観的」といわれる物語のパターンがあると。(注4)だからこういう、『エマ』みたいなやり方もあるんだな、と思うんですよね。
耽:僕がやおいの感想を書いていてさ、ストーリーがなってないとか、御都合だとか、ふざけるなとか書いてるけど、この作品みたいにネタに特化したりとか、単にストーリーとかキャラとかを重視して描いてないとかであっても、描かない、描かれないことによるデメリットなり、失われるものよりも、その他の点で得られるものが多いのであれば、別に必ずキャラなりストーリーを描き込まなければいけないということには全然ならないわけで。その辺やっぱこの『エマ』という作品は・・・
墨:そういう方法論と、まあ・・・すべてがうまいこと行っている、結果的にうまいこと行ってるということですかね。
(以下第2巻の評論へ続く)

注1:「旦那様と呼んでくれ」(http://black.sakura.ne.jp/~sakai/
酒井氏が4年前のコミティアで県文緒さん(=森薫さん)の同人誌(シャーリー)の売り子をしていたことを覚えている人も今や少ない、かも知れない。

注2http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4336034966/qid%3D1106470275/249-3744691-8571526
ヘンリー・ジェイムズとジョージ・エリオットについては
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0429.html
http://english.chs.nihon-u.ac.jp/g-eliot/
でも参照してください。

注3:森薫さんのサイト『伯爵夫人の昼食会』内「自己紹介」(http://pine.zero.ad.jp/~zad98677/profile.htm)を参照のこと。

注4「十人十色の人間が入れ代り立ち代り場面に現れて、思い思いに動いたり語ったりするうちに、次々に事件が湧き上がり、発展し、幾変遷を重ねるところに、移り行く世の姿が描かれる。まあいって見れば一種の風俗史――文章に綴った絵巻物である」
谷崎潤一郎「『つゆのあとさき』を読む」より引用。


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