読書妄想録
〜墨東公安委員会の電波ゆんゆんパラダイス〜


第1回
アニメ放映記念
『エマ』の車窓から〜『英国鉄道物語』他英国鉄道史関連書籍の巻

○キングズ・クロス駅員の不正発券疑惑〜「クラス」の二つの意味

 さてさて、話を戻しまして、故郷に帰ろうとしたエマは結局メルダース家に就職してしまったので、故郷には帰らずじまいだったのですが、その故郷はどこだったのでしょうか。

 エマは車中でターシャに「ヨークの先の海の方です」と言っています。鉄道地図でヨークから海へと分岐する支線をたどると、線路が海岸に出たところで、皆さんも聞き覚えがあるであろう街に着きます。スカボロー Scarborough です。サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」。パセリにセージにローズマリーにタイムなのです。そしてスカボローはブロンテ姉妹とも縁浅からぬ街であり、姉妹の一人アン(姉妹の中じゃ一番マイナーな人だけど)はこの街で没し、墓地もあるそうです。スカボローとハワース。それはブロンテ姉妹の足跡に重なっています。森薫氏の英国文学への深い愛着が仄見えますね。心憎い演出です。

 と、まとめると話は大変綺麗なのですが、実は一つ、この美しい説に瑕疵があるのです。それは2巻181ページの駅員の台詞です(図4)。彼はエマに三等車が満員であるけれど一等車には空きがあることを告げ、こう述べます。

「5 6シリングくらいしか変わりませんよ」

図4

(森薫『エマ』2巻 エンターブレイン P.181)

 ということは、エマが切符を買おうとした距離は、一等と三等の料金差が5〜6シリングしかないということになります(この金額は1995年当時のポンドに直して21.1〜25.3ポンドくらいになるそうです。四、五千円くらいでしょうか)。

 当時の英国鉄道の料金体系は、はっきりしたことは分からなかったのですが、初乗りや遠距離逓減制といった制度はなかったようで、距離比例制だったようです。等級別の料金については、『イギリス鉄道経営史』に、1882年と少し古めですが、各等級のマイル当り運賃表が掲載されています。それによると、一等が2.21ペンス、二等が1.60ペンス、三等が0.97ペンスとなっています。

 身分階層の差をテーマとするなら、列車の等級は重要なポイントでしょう。階層も等級も英語なら class なわけですし、列車のどの等級に乗るかということは、懐具合というよりむしろ身分を反映している旨を、小池先生も『英国鉄道物語』の中で強調しています。だからメイドさんは遺贈のお金なんぞ持っていても三等に乗るべきだし、逆に社会的地位ある人は懐が寒くても一等に乗らねばなりません。19世紀末になると鉄道会社が大衆向け三等車のサービスに力を入れたこともあってこの規範もだいぶ崩れ、中産階級も三等で旅することが増えてきたそうですが(小松芳喬『鉄道時刻表事始め』早稲田大学出版部)、三等に乗る人にいきなり一等を売りつけることはちょっと考えられない、とは、英国鉄道史に関する書物を著された某先生の談です(もっともこの問答の際、筆者の前にはビールの大瓶の空き瓶が林立し、先生の前には空っぽのお銚子が何本も横倒しになっていたので、その旨ご承知ください)。しかしまあ、エマのキャラクターを強調し、4巻での活躍の伏線であると受け取れなくもないですね。

 ところで三等が大衆で、地位ある人が一等なら、中間の二等は誰が乗るのかというと、よく分かりません。イギリス人も結局分からなかったのか、ミッドランド鉄道は1875年から二等車を廃止し、一等車の料金を旧来の二等車並に引き下げる改革を行います。事実上の値下げに当初は戸惑い反発した他社も次第にこれに追随し、GNRはその先陣を切って1885年に二等車を廃止しました。ですから、『エマ』の頃のGNRは三等が満員なら空席は一等にしかないのです。二等車は最初からついていませんから。

 おそらくGNRの一等と三等の料金差は、マイルあたり0.6ペンス前後と考えられます(二等を廃止したのだから、一等料金を二等なみに下げたでしょう)。それが5〜6シリング(=60〜72ペンス)程度に達する距離は、幅を広めに見ても100マイル弱〜140マイル強くらいでしょう。ところが、キングズ・クロス〜ヨーク間は188マイルあるのです。エマの買った切符では、スカボローどころかヨークまですら行き着けそうにありません。

 うーん困った。森薫氏もそこまでは考えが及ばな・・・いやいや、そうだ、駅を間違えたんですね。例えばスカボローの二駅南の海沿いに Cayton という駅がありますが、一方GNRにはキングズ・クロスから103マイルと少しのところに Kirton という駅があります。発音似てそうですね。エマはヨークシャー訛りで駅員が勘違いしたのでしょう(ケリーさんの躾なら訛りは矯正されそうですが)。まあとにかく、駅員が間違えたということにしておきましょう。だから2巻181ページの左下のコマで、エマは切符をちょっと不審そうな、そんな感じで見ているのですね。でも今まで帰郷したことなんかないだろうから、間違いを指摘できなかったのでしょう。

 ・・・でもやっぱおかしいよなあ。幼い頃のエマが牡蠣を売りに行く途中でロンドンに誘拐されてしまいますが、そのときの交通手段は如何にもオンボロな一頭立ての荷馬車。舗装道路の上を走り、馬車の世界では最速を誇った英国のメール・コーチ(郵便馬車)でも時速10マイルに届きません。あんなボロ馬車では時速2〜3マイル、人の歩くくらいの速度がせいぜいでしょう。「ヨークの先の海岸」からロンドンまで、鉄道に沿っても230マイルくらいはあります。一体いつになったらロンドンに着くのでしょう?

 つまるところ、エマの故郷がどこかは分かりません。それはエマの寄る辺なき境遇を反映しているとも言えそうですが、結局は、先ほど述べたとおり、森薫ワールドの「英國」は地図が通用しない、そのような世界観をあらわしているのだ、ということになるでしょう。

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